原研哉『RE DESIGN』

を、読みました。

日用品の、いわゆるアノニマスデザインをもう一度ゼロベースから、色々な人たちに考えてもらう展示企画の記録です。

たとえば「ゴキブリホイホイ」、たとえば「新聞」、たとえば「ティーバッグ」。原研哉から与えられた課題に対して、建築家やデザイナーたちがソリューションを提案していきます。もちろん中には首を傾げたくなるようなものもありますが、逆にそれは、いまあるデザインが既に考えつくされ、これ以上ないくらい完成されたデザインであるということを、教えてくれます。日常に埋没した当たり前すぎる「かたち」に対して、いかに驚きを持って接するか。小林秀雄がダンヒルのライターを眺める目で、ぼくたちはいまこの机の上にある一つ一つの「もの」を、見つめなおす必要があるのかもしれません。刺激に満ちた一冊。

原稿用紙に万年筆で書くことは、保守的な行為ではない。原稿用紙は、ひとマスにひと文字ずつを書くように書き手に要請しているのだから、デジタルだと言える。連綿となる書字の運動を押しとどめ、字幅ごとに字間を詰めたがる昨今の組版ソフトも抗している。原稿用紙は、メディアなのだ。(鈴木一志)


エンツォ・マーリ『プロジェクトとパッション』

を、読みました。

記述はなかなか難しく、行きつ戻りつの読書でした。

けれど「インダストリアルデザイン」という言って見れば一つの村の出来事に、現代の諸問題の数々をくっきりと描きだしてくれています。

ここで語る能力とは、プロジェクトを進めていくために必須となる四つの条件である。それらは、ユートピア的な決断、権威から自由になる姿勢(手本となる存在が「無」であることの不安を超える能力)、学説を超える手助けとなる人文学的な文化、絶え間ない研究を支える肉体的強さ、である。


中根千枝『タテ社会の人間関係』

を、読みました。

本書は1967年に出版されてはいますが、まったく古びていません。この本が古びていない理由の多くは、その学術的な態度を貫徹している点にあると思います。日本社会を批判的に解説する書物というのは、得てして海外と比較して日本がいかに「遅れて」いるかを滔々と述べるにとどまることが往々にしてあります。一番たまらないのはそういう紋切り型を読まされる方なのです。もうわかった、日本人の人間関係に対する態度は欧米に比べて本当に劣っているよな、じゃあ明日から職場でどう振る舞えばいいというんだ?

本書はそういう主観と客観のズルズルべったりを見事に超克し、まるで実験室で日本社会を解剖してくれるているようです。そしてそこにはなんら積極的な意味づけは加えられていません。日本というのはこう、欧米はこう、それぞれこういういいところもあれば悪いところもある。それをただメスのようなひたすら冷徹な文体で解剖してくれます。その切れ味も抜群です。

特に会社の合併によって組織が一つになってうまくいく場合とうまくいかない場合の記述は本当に膝を打つものがありました。本当に我が事として読めました。

大事なのは、この日本社会の特徴を全否定して海外流にある日突然振舞いはじめることではなくて、この特性を限界ととらえずに一つのプレイグラウンドとして、一つのゲームのルールと捉えて遊びつくすということなんだと思います。所詮会社での人間関係なんてゲームです。練習すればうまくいくし、失敗したって何度でもやり直せるのです。

講談社現代新書というのは一貫して、今に至るまでこういう日本社会の特性を遊び倒す新書が多くラインナップされていて、何かポリシーのようなものも感じます。以前に読んだ平田オリザ『わかりあえないことから』、鴻上尚史『「空気」と「世間」』といった演劇畑からの新書からアベキンに至るまで。

ちなみに古本で買ったので久しぶりにかつてのクリーム色の表紙が手に優しい。


森達也『いのちの食べかた』

を、読みました。

少し、身近なことについて「そもそも論」をやりたい季節です。本書は「屠殺」をテーマにしていますが、後半はやはり部落差別についてかなりの紙数を費やしています。

身近な、自分の好きなもの、当たり前のように存在している物に対して、深く深く考えること。
それがどういうプロセスを経て、誰の手によって、どんな対価が払われて今ここに存在しているかをもっとよく考えること。

すべてにおいて、そういう姿勢が大事なんだろうと思います。


村上春樹『スプートニクの恋人』

を、読みました。

世の中に、ベストセラー小説というものがあるということを身近に感じた最初の本だったかも知れません。本書の単行本が発売されたときの、世の中での受け入れられ方は、高校生だったぼくにもなんとなく感じられるものでした。川崎の有隣堂で、けれどそのときのぼくはチェーホフの「櫻の園」の文庫本を買いながら、うず高く積み上げられていたベージュ色の単行本の表紙を遠くで眺めやったものです。そのとき、ぼくの読書体験に現存の作家はレパートリーに入っていませんでした。もっともっと、読むべき物がたくさんたくさんリストアップされていたのです。


谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

を、読みました。

しかしどうして人は、下(しも)の話になるとこうまで熱くなってしまうのでしょうか。陰影礼讃トイレバージョン「厠のいろいろ」の方が、かえって氏の美学が良く伝わってきます。「旅のいろいろ」もけっきょく汽車のトイレの話に一番こだわりが感じられたりもします。