月別アーカイブ: 2014年6月

気分の悪い月曜日

午前中は気分悪く、ひたすらキーボードに向かい、午後はずっと会議であった。
おかげで夜の八時になってようやく自分の席についた頃には家に帰る以外の何をもしたくない状態になる。
本当はこれではいけない。
これからあと4時間くらいは資料作成に費やさないといけないのに帰ってきてしまった。
明日に備えて、という言い訳を久しぶりに使って、今日はもう寝てしまおう。

転職サイトに登録してみたが、NHK出版の経理とかいいなあ。
駿台の職員とか、楽しそうだなあ。
ま、どうせ見るだけ見るだけ。

そして今日は職場の若者が一人、会社を去りました。
ぼくはここでもうすこしがんばるかなあ。
ここに居続けることをなぎとめているものって、なんなのかなあ。

気の晴れない休日

パソコンを開いてみるが、自分の仕事のトロさにいい加減嫌気が差してくる。
二日も休みがあったのに、やるべきことの半分も進んでいない。
まだ右半分が真っ白である。
これでは一体なんのためにパソコンを持って帰ったのか全くわからない。
とにかく自分の能の無さにほとほと嫌気が差してくる。
ここに到るまでもいろいろやってはいるのだけれど、やっては「そうじゃないだろ」を繰り返され、叩き返され、「結局ひとりじゃ出来ねえじゃねえか」「おれの手間をわずらせるな」とまでは言わないけれど実質それに近い状況をずーっと続けていると、どんなに前向きの人でもやっぱり自分の存在意義を疑っちゃうよね。
いや、そんなのもともと無かったのだ・・・。
明日会社行きたくないなあ。
ああ、明日会社行きたくないなあ。
昔はさあ、土日に仕事を持ち越さないために平日頑張ったのよ。
平日頑張れば土日は好きな本を読んだり、原稿用紙に向かえる時間があったのよ。
でも今の生活はさあ、平日毎日ギリギリまで仕事しても終わらなくて、土日に持込しても終わらなくて、こうして日曜日の夜になっても「明日の朝まであと10時間はある・・・それをやらなければやってきたことにはならない、評価されない」などと頭の中でぐるぐるやっている状態です。
たぶんこれが定年まで続くんだろうなあ、長いなあ、気が狂うなあ。

ブラ一本

先週から左腕がパンパンに腫れてきて、どうもひじが化膿してしまっているらしい。
火曜日に整形外科に行ったら、疲れが溜まって、免疫が低下しているからだよ、と言われた。
湿布を貼って包帯でぐるぐる巻きにしてもらう。
リハビリを主とする町医者だったが、10分で診察が終わってしまった。
会社は午前休を取ったので家でごろごろしようかと思ったけれど、免許の更新のはハガキを貰っていたことを思い出す。
優良なのでビデオ見て終わるはずの更新。今からいけば午前中で終わるだろうということで板橋警察署へ。
その日はばっちり12:00に会社につく午前中を過ごせた。
充実した午前休である。

しかし仕事は終わらない。
医者に休めと言われても休めないのがつらいところで、おかげで昨日の金曜日にはちょっと良くなったと思った腕がまたパンパンに膨れ上がり、飲み会も断ってそそくさと帰宅して熱を測れば37度を越えていた。
金曜日はほんとうに頭が痛くて、金曜日中に仕上げるはずの仕事よりも月曜日までに仕上げる仕事を優先した結果、上司には怒られるし散々であった。
体調が悪いとどうも物事の判断が鈍る。

今日はまた医者に行き(次は土曜日に来いと言われていたのだ)、見てもらったが特に進展はなし。
良くもなっていないし、悪くもなっていない。

そんなわけでいまのところ左腕は回復の兆しを見せていないが、持って帰ってきたパソコンをいやいや開いて遅れている仕事を前にすすめる。

赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』

を、読みました。

90年代後半に文学に目覚め、雑誌「文藝」界隈を渉猟していた高校生のぼくにとって、赤坂真理はそのドライな文体と日常をSM的なモチーフで彩る手法に、新時代の文学を感じていたものでした。いつぞやの「文學界」巻頭掲載の「ミューズ」など、舌を巻いたものです……いま、赤坂真理を小説家として記憶している人がどれくらいいるかわかりませんが、その後2000年代に入ってからはこれといった代表作がなく、ぼっと『東京プリズン』が去年くらいに上梓されて一気にいろいろな賞をとって……それでも、赤坂真理を小説家として記憶し続けている人、読み続けている人というのは、その作品のレベルに比して不幸にも少ないのかも知れません。

けれど『東京プリズン』を読まずしても、本書を読んだところで、かつてのナイフのような読者を切り刻んでくる何かはあまり感じられなかった、というのが正直なところ。まずもって講談社現代新書としてなぜこれがラインナップされてしまったのか(『モテたい理由』はあんなにおもしろかったのに……)、データの裏付けなくして物事を「……と思う」でつないでいってしまう危うさ。たぶん著者の問題意識はまだ不明瞭なままなのだと思う。『東京プリズン』のアマゾン書評を読んでいても、小説としては失敗していながらも、その主張するところを同じくする人たちはこれを絶賛している。これは評価として非常に歯がゆい。芸術としては一級だが戦争を賛美している作品と、芸術としては失敗だが戦争を否定する作品と、それは評者の思惑によって様々にしゃぶりつくされる、多くの場合、外野で。

結局のところ、戦後50年すら遠い昔になってしまい、戦争の記憶を次代につなげようとしても「死にぞこない」と言われ、そもそも記憶が薄れていくこととそもそも最初から「知らない」ということとは全然違うのだということそのことを指摘してくれる人も少なくなっていく。これは、もう、人間が長くても100年程度しか生きられないことの限界なのだろうか? 例えば100年前の明治三陸沖地震の経験は伝えられ、生かされたのだろうか? そこにもし後悔があるのならば、戦後100年となる2045年までにぼくたちは何をしなければならないのだろうか? 本書は戦後世代(という表現をするのであれば、むしろ積極的な意味合いとして)の共有しなければならない課題の、戦後世代として引き受けようとする一つの範例にはなっているのだと思います。あるいは、「戦争映画は戦争に行ったやつしか撮れないのか?」という問いに対してどう答えるのか? ということの……。

もう

もう眠いし眠いしやってもやってもやることが減らないし
そう思うと余計にやる気が無くなってどんどん
やってもやんなくてもいっしょだ
みたいな気持ちになって、でもやってないと
なんでやってないんだってなるからやるんだけど
もっかいやりなおしってのが後何回も続くんだよな
もうやなんだけどやなんだけどほんとにやなんだけど

京劇・紫蘇ジュース・やり残しの仕事

昨日は嫁さんの奨めで東京芸術劇場で京劇を観劇。『覇王別姫』。三国志にはうといぼくですが、虞や虞や汝を如何せん、くらいはね……。しかし京劇というものは初めて見たのですが、囃子の音がずーっと鳴り響いていて、その単純な音の組み合わせで舞台を盛り上げたり時間の流れをコントロールしているのが非常に印象的でした。パンフレットにも色々書いてありましたが、日本に京劇が初めて紹介されたのは大正時代で芥川なんかも当時のスターを見ての感想など書いているようです。中国側自身は西洋劇に比べそれこそ囃子の音のけたたましさから自らの「後進性」として嫌がる向きも一部の知識人にはあったようなのですが、魯迅も日本人の「見巧者」たちによって京劇が評価されていくことに、逆に目を見開かされる思いになったとか。まあそういったエピソードも十分に眉に唾して読まなければならないのでしょうが、いずれにせよ日中という二つの国の歴史の狭間でいろいろと京劇自体のドラマも少なからずあるようです。

今日はスーパーで紫蘇が出ているのをようやく発見したので、恒例となっている紫蘇ジュースをまた作りました。

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暑い日曜日。