月別アーカイブ: 2013年9月

志村貴子「青い花」

を、読みました。この巻にて完結です。

そして漫画というものはどうして完結に近づくほど急いでしまうのか……この作品も、最後の最後で逃げ出してはゆり戻るその様子をもっともっと丹念に描けばいいのに、そしてそれまで物語の進行のスピードからすれば当然あと五巻くらいは費やして、中だるみと言われようがこの巻は全然物語が進んでいないと言われようが、描くべきだったのではないでしょうか?

好みの問題かも知れませんが、個人的には「再会してハッピーエンド」というパターンが全く好きになれません。再会できずにカッコ悪い自分を相手に印象づけたまま永久の別れ、という現実が多い中で、カッコ付けるのはちょっと漫画を漫画の枠に嵌めこみすぎているんじゃないかな、と思ったりもします。あくまでも、これはぼくの勝手な嗜好の問題なんですけどね。

決定版三島由紀夫全集第5巻

を、読みました。所収は「女神」「沈める滝」「幸福号出帆」。

「女神」は三島らしい佳品。

「沈める滝」は王道的といえばそうなのですが、わりと純文学的な作品です。三島はけっこうその時々で世間を賑わせていた話題を捕まえて、けっしてつまらない教訓話に堕さずに小説的な世界を構築するのが実に旨いです。それが時々世間に誤解されてモデル小説問題に発展するのでしょうが、おそらく世間一般の三島のイメージとは違って、氏は相当綿密に色々な取材をした上で作品を構築しています。ミーハーだし、読者へのサービス精神に溢れているし、そして自らの思想もきっちりと織り込んでくる力量もあります。

「幸福号出帆」はなんだかジブリ映画みたいな感じでした。

オリンピックなんて

オリンピックなんて要らないと言っていた都民はどこに行った!? 私は逃げも隠れもしません。

オリンピックを、経済効果でしか語れないヤツや震災復興というお涙頂戴でしか語れないヤツや、そしてそういうことを重々わかった上でマーケティング的にオリンピックを東京でやるべきだと主張するヤツは、きっと地球温暖化対策として原子力発電を推奨していたのに事故が起きればひっくり返って原発反対を唱え出したに違いない。まるで戦後のどこぞの大新聞のように。このことは何度でも主張しておきます。

あとスポーツメーカーの変な散文詩もよくわからない。ああいうの誰かが「東京に決まったらこういう広告をやろうゼ!」ってちゃんと用意しているわけでしょ? ほんとそういうメンタリティが理解出来ません。煽るのもけっこうだけど、もうちょっとクールにできないのかね。

きょうにっき

一歩ずつ一歩ずつ。

早めに行ってその場の空気に体を慣らすっていうのは、何事にも通ずるよな。月曜日ほど早く会社に行かなくちゃ!

そして毎日毎日いろんな人が自分の都合だけで物事を動かそうとする(得てして口だけで手が動かない、いや、口くらいは動かせよ、という……)中で、昨日よりは少しでも進歩があったことを認めてあげよう。自分を最後に受け止めるのは自分でしかない。そして、…と、なにを言おうと思ったんだっけ。

劇場版「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」

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を、見てきました。池袋シネ・リーブル。

良かったです……基本的には本編の総集編という作りにはなっていますが、TV放映を毎週追っていた時よりはけっこう素直に見れました。客層はけっこう若かったなー。ぼくももはや30歳を超えていますので「ノスタルジーをノスタルジーすることにノスタルジーする」みたいな見方になってしまいましたが、だんだんこういうモノも許せるようになってきます。

今回の映画も結局あなるはメンマの呪縛に囚われたまま終わります。「止まっていた時間は」ぜんぜん動き出していません。動き出していた時間を引き戻してもう一度止める。そしてネジを巻く。同じ夏が再びやって来る。「あの夏も、あの夏も、この夏も」同じ人間関係が、繰り返されていく。それを最後までもどかしく見ていた自分もありましたが、死者を弔う心を持って生きて行くというのは、実際、そういうものなのかも知れません。ユキアツが最後に言う「来年もまた集まろう」という言葉がいつまで、どこまで響き続けるかが彼らのこれからの挑戦なのでしょう。

「あの花」はもっともっといろいろなスピンオフを見てみたい気がします。ユキアツのとんでもなくヒネクレた愛憎とか、ぽっぽの放浪の旅とか、あるいはさらに10年後の話とか……ね。

「図解入門業界研究 最新鉄鋼業界の動向とカラクリがよーくわかる本」

を、読みました。

レベル的には、就活学生のレポート代行の域を出ませんでした。
致命的なのは、もはやこの「業界」なるものが日本国内の会社についてだけを語っていれば済むものでは無くなっている点です。最後に参考文献が付いていますが日本語文献しか挙がっていませんし、技術的な深掘りももっと欲しいところ。

といっても、最初に書いたようにあくまでも入門書なので浅く広くという意味では良いのでしょうか。
本当はこの本についてなにか言いたかったのではなくて、ゼロベースでもう一度就活学生になったつもりで色々な会社について勉強してみようと思ったのです。学生の時も専門が狭まるに連れて感じて言った息苦しさをもしも今感じているのであれば「浅く広く知らないことを学ぶ」地点に戻ることが、必要なことなのかも知れません。

は、永遠の指南書。

きょうにっき

あまりに疲れていたのか、一日中寝ていた。

昨日も飲み会だったのだが、言葉の端々から心の荒みが滲み出るのを抑えきれなかった。

明日からのモチベーションのためになにをすべきか? 体の悲鳴に忠実であるべきか。

きょうにっき

今日は古い先輩方と酒を飲んだ。

昔に戻りたいと思う一方で、今のこの出口のなさを定年まで引きずるのはツライとも思う。

それなりにはやれてしまうのだけれど、それをやるために会社に入ったとも言えない。

でも、仕事っていうのはそういうもんだ。

とも、割り切れないのでとてもツライ。

と、思うことも少なくなったのがも実は一番ツライ。

冬目景「イエスタデイをうたって」

を、読みました。

繰り返しになりますが、「写真好きの大学生」「フリーター」「美大予備校」「不思議な女の子」「幼なじみ」「死んだ恋人」といったキーワードは90年代から00年代の初頭にかけて、燦然と輝く青春の代名詞だったのです。

あと10年、いやあと15年早く読んでいたらもう少し刺さるものがあったのかも知れません。読者も年を取る、ということです、良い意味で。