久しぶりの打ち上げ

金曜日は仕事が一段落した、いや、本当は一段落していないのだけれど延長戦に向けて気合を入れ直すという意味で関係者で飲みまくってきました。もはや空も夏の気配をすっかり失ってギンギンの秋色になっていましたので、おでんにひれ酒、銀座の店をハシゴしたあとは油そばで締めるという非常に豪華な時間を過ごしました。ただし、今日は昼の二時まで寝ていましたが……。

こういう時間は会社が新たになってから実は非常に稀で、かつあったとしても「飲み会も立派な仕事!」という無言のプレッシャーの中でのことでした。自分が会社で関係している人たちとリラックスして酒を飲む、というのが全く当たり前でないという環境にいるということをいまさらながら実感。甘えてんじゃねーよ、という声も聞こえてきそうですが、家でぶっ倒れるまで飲むなんてことは出来ませんので、たまにはいい時間を過ごすことができたなと、関係者には感謝します。

ちなみに昨日は昼も激辛ラーメンを食べ、締めの油そばも結構辛味噌のパンチが効いていて、今日は家で今年初の鍋をやったのですがキムチ鍋にラーメンを突っ込んでご賞味しましたので、ぼくの内臓はちょっと疲労気味のようで……明日は内臓を休める日に。


「図解入門業界研究 最新総合商社の動向とカラクリがよーくわかる本」

を、読みました。

が、丸紅の人が書いているということにもっと早く気づくべきでした……。なんというか、商社新人の導入研修みたいな本です。あまり目新しい情報はありませんでした。

とりあえず初心に戻って業界研究もこれにて終わりです。きっと見えないところで仕事の役に立ってくれることでしょう……。あとは各論を色々深彫りしていきたいと思います。太陽電池とかシェールガスとかね。

ひとまず明日からまた文学青年に戻ります。


「図解入門業界研究 最新自動車業界の動向としくみがよーくわかる本」

を、読みました。

これはなかなかよくまとまっている良書です。過去からの日系自動車メーカーと外資系メーカーとの連携、その解消や特に中韓メーカーの解説にも力が入っている点や、ハイブリッド車、さらにはEVへの技術的見通しもきっちり網羅されていて、このシリーズの中では際立って良書と言えます。

ここでもやはり最大の課題はコモディティにどう対抗するか。家電と違うのは、日本車というのが既に高品質と高価格を実現してしまっている点で、むしろボリュームゾーンで安い車を大量に売って利ざやを稼ぐという方向へなかなか日本メーカーというのは行かない。ブランドを守るということも大事だけど、いかに安く作るか? という思考回路も技術者としては一つの目標に十分なるのでは。日系メーカーから見たらおよそ車とは呼べないような車を思いっきり安く作ってみせ、それを売りさばいている会社が現にあるのですから。ニーズは、ある。

すべての車が電気自動車になるわけではないけれど、将来的に電池が誰にでも作れるようになって、ほとんど既存の部品を組み立てるだけで車が出来上がってしまう世界が到来したら、その時こそ本当の意味での車のコモディティ化、大衆化が実現するのでしょう。その時にトヨタもホンダももうハイブリッド車を作っていないだろうし、街の至る所には電気のスタンドがあるのだろうし、その電気も石油を燃やして作ったものでは無くなっているかもしれない。車の価格が安くなったらいまよりも一人一台という感覚が当たり前になるかもしれないし、そうなると道路の拡張工事とか土木分野の需要が出るかもしれない。高速道路は今よりももっと渋滞しているかもしれないけれど、もはや人が運転する時代でもないのかもしれない……なんてなことを色々と空想させてくれるのは今のところ自動車業界なんだよなあ……。


「図解入門業界研究 最新機械業界の動向とカラクリがよーくわかる本」

を、読みました。

工作機械、建機、精密機械と三分野にわたって網羅的に記述されていますが、いかんせんどの会社も独自色が強くてたとえば製パン機械業界での過酷な競争! みたいなものはあまり……想像できません。が、やはりニッチな技術があってこその収益。そして海外需要に半分以上を支えられている会社が多いようです。

有名なファ◯ックなんかはロボットを作っていますが、その製品ロボットをまた自社のロボットで製造しているというのもまた……すごいです。ロボットが自分で自分を複製できてしまったらなんというか……その会社なくなってしまうんじゃ……とはいえ該社のホームページの写真なんかを見ているとわくわくしてしまいます。


「図解入門業界研究 最新電機業界の動向とカラクリがよーくわかる本」

を、読みました。

総花的な印象が否めない電機業界ですがやはり「コモディティ化」にどうやって抗していくかが最大のカギ。これは、真正面から立ち向かうのではなくて(そんな事したら潰れます)差別化を図れる分野がどこなのかを見極めることが、もし今後も日本でモノを作るということにこだわり続けるのであれば、必要なことです。

本書中にもありますが、白物家電というのは成熟分野ではまったくなくて、新技術を常に応用できる分野ということです。本当かどうか分からないイオン技術やサイクロン掃除機なんかも、「最新の技術」として白物家電分野には次々と投入されて付加価値とされています。あるいはスマート家電なんか最近はいろいろもてはやされていますが、これも震災以降の節電意識の高まりやスマートフォンの普及によってようやく機が熟して波にのることができたものです。

情報家電自体は、たとえば電気ポットが使われているかどうか遠隔地でわかる(高齢者の生存確認を遠方の家族がするという!)ような仕組みはずいぶん前からあったことを考えると、技術自体は存在していてもニーズがなければ金は産まないし、逆に言えば今金を産まない技術も環境の変化によっていくらでも大化けする、とも言えます。このあたりをきっちりマーケティング出来るかどうかが生命線になるということでしょう。

ちなみに本書は途中から会社の仕事にはこんなものかあって〜と突然電機業界と関係の無い内容にページが割かれているのが意味不明です。あと古本で買ったのですがNECの部分だけずいぶん赤線が引いてあったのは関係者でしょうか……。


「図解入門業界研究 最新土木業界の動向とカラクリがよーくわかる本」

を、読みました。

やはり需要のほとんどが官需の世界というのは難しいものです。儲けすぎてもいけないし、損失があってもいけない。そういう間合いを談合がとっていたといえばそうなのかも知れませんが、情報化社会になった今だからこそ逆に情報の断絶にもうるさくなっているわけで、それぞれの蛸壺からしか見えない世界の中で、いかに公平な入札制度を維持するか、というのが最終的に働く人達のモチベーションにもなっているのかと思うと本当にこれは特異な業界なんだと思います。建設業界と土木業界で、どれくらい請負で働いている方たちがダブっているのかわかりませんし、現場の技術としてビルを建てるのとダムを建てるのとではだいぶ違うものもあるのでしょうが、そのあたりも人材不足が叫ばれている今もう少し突っ込んで勉強してみたいところです。今後大規模なプロジェクトというのがなかなか見出せない中では維持補修が需要のメインになってくるとは思いますが、明石海峡大橋、関西空港、東京スカイツリーと、無駄にならないビッグプロジェクトもたまにあると街場の感覚としてはうれしいところなんですが。今度のオリンピックはむしろ1964年の遺物をいかに活かすかという点においても試されているような気がします。

それにしても週初めのエンジンというのはどうして夕方くらいにならないとかからないんでしょうか。
朝一からガンガン飛ばしてくる人には太刀打ち出来ません……もう少しかるーい感じで仕事したいですね。。。


「竹岡広信・安河内哲也の この英語本がすごい!」

を、読みました。

とりあえず来年のTOEICに向けてということで……。
やっぱり駿台の先生は伊藤和夫の系譜を着実に引き継いでいっている感じがしていいですね。とにかく真面目で、シンプルで、裏技なんかないのだという姿勢が、このセレクションからひしひしと伝わってきます。しかも最後のほうで「プログレス」が出てくる! あの独特の表紙の紙質を思い出します……。


志村貴子「放浪息子」

を、読みました。15巻にてこちらも完結。

なにはともあれ「性」という人間の根源に立ち向かった傑作と言ってよいでしょう。性未分化な小学生の時にふと感じた「なぜ男の子である自分はスカートをはいてはいけないのだろう?」という、シンプルでありながらおそらくいかなる人類学者、民俗学者、社会学者を以てしても明確な答えが出てこないであろう問いを抱えながら、それが解消されないまま大人になっていくことの苦しさを、淡々とした描写で読ませます。

多くの人は、男の子とはこういうものだから、女の子とはこういうものだからと、問いにフタをして解決したかのような顔をして恋愛ゲームに参加していくのでしょう。遅まきながら高槻よしのもやがてフタをして、フタをする自分を辛く辛く感じながら、女らしい格好をし髪を伸ばしていきます。一方で二鳥修一は結局最後まで問いを捨てられずに「あちら側」の世界へ入っていきます。

物語の始めでは「とりかへばや」的に「女の子に憧れる男の子」と「男の子に憧れる女の子」という対になるような主人公の二人でしたが、成長するに連れてそのバランスはどんどん崩れていきます。女の子はちょっと男の子のような魅力を出せば「中性的な魅力」ともてはやされます。けれど男の子はあくまでも男らしさの側にしか最終的な出口はなく、少しでも「可愛らしさ」を侵犯すれば「気持ち悪い」と非難される。男-性と女-性が交換可能な等価な記号であることは全くの嘘で、性の領域においては女の子のほうがずいぶんと縦横無尽な活躍を見せられる──ように見える、と言ったほうが正確でしょう。そしてその自由さに嫉妬して、やっぱり二鳥修一は最後の最後まで「どうして男である自分はかわいいものに憧れてはいけないのか」「男である自分がかわいいものと一体化してはいけないのか」「男である自分を可愛いと評価されてはいけないのか」という問いを抱えたまま「女の子になりたい」という絶唱を響かせて巻は終わります。

なんとなくわかる、──というのはぼくもまた、小学生の時、例えばプールの授業で着替えるときに履いたタオルのスカートがちょっと嬉しかったり、「女の子はズボンもスカートも履けるからいいな」と考えたり、あるいは頭の中で悲劇のヒロインごっこをしたりしていたものです。少女漫画にはまり始めたのも小五の時だったし、以来「男らしさ」を標榜するマッチョイズムに対しては言い知れぬ嫌悪感を持って生きてきました。

性に起因する「らしさ」に直面するのはやっぱり保健体育的には二次成長期を迎える小学校高学年のあたりになるのでしょうが、そこで生まれる葛藤に対して、繰り返しになりますが多くの人はだんだんとそういうものだと受けていれていくことになるのでしょう(ぼく自身はその後の男子校生活で大きな認知の歪みを経験しますが)。そういう飼いならし作戦には、ランドセルの色が黒と赤に色分けされていることから周到な準備が出来ていて、小学校の中で行われる指導の中には「男の子らしさ」「女の子らしさ」を強制する装置が至る所に発動しているのではないか? と疑問に感じます。たとえば家庭科の教科書で女の子だけがが料理しているイラストが載っていて問題になったこともありました。

現実に女装をしてしまう男の人達は苦しみぬいているはずで、かわいいものに憧れること事態は別におかしな現象ではないながらも、それと同一化したいという欲望は、やっぱり世間一般的には一線を画すものと考えられるようです。自分でここまで長々と書いてきてなかなかすっきりしませんが、その一線とはなんなのか? その一線を「気持ち悪い」と受け止めてしまうメンタリティとはなんなのか? どちらの側がおかしいのか?

といったことを読み終わってもなお考えさせられる漫画。おすすめです。