児玉教仁『ハーバード流宴会術』

を、読みました。

良くも悪しくも「鉄鋼商社マン」にとっての「宴会」の実体はこういうことなのでしょう。「ハーバード流」は実に余計ですが、新入社員に宴会の幹事をやらせるのなら本書の一冊くらいは渡してやるのが礼儀というものかも知れません。「バッカじゃないの?」と言われればそれが突破口になるかも知れませんし。

現状追認的な実務マニュアルとしては一級の本です。


椎名軽穂『君に届け』第十九巻

を、読みました。

進路の話が出てくると、学園モノは終わりの予感がしてきます。『けいおん!』みたいに全員が全員同じ大学に進学するのはさすがにやり過ぎの感は否めませんでしたが、あまたの少女漫画の中で「君に届け」はどのような「卒業」を描いてくれるのか、まだまだ期待の大きい作品です。


小林秀雄全集第十三巻

を、読みました。

いよいよ全集通読も次巻からの本居宣長、ベルグソン関係を残すに至りました。

本巻は対談を中心に生っぽい声が聞こえてくる構成になっています。さすがに同時並行で本居宣長を書き継いでいるのでしょうか、二稿程度の発表という年もありますが、数学者、音楽家、文学者…様々な世界に住む人々との対談は流石に氏の批評の矛先の幅広さに驚かされます。なんといっても科学に対してもかなり造詣が深く、また興味を持って理解につとめているのが、現代のいわゆる「批評家」たちと一線を画しています。文系/理系とか、自分が出た大学の学部がどうだったとか、そういう細分化は本当に最近の出来事であって、当然ながら本巻の中でも小林は対談の中で学者や大学の「行政化」に対して気炎を上げているのです。


押見修造『悪の華』第八巻

巻を追うごとに画力が上がり、表紙の雰囲気も変わってきています。こういうことをやりたかった……というのが、次第に作者の技量の増進によって実現されていくような、そういう変化をリアルタイムに感じられるという意味でも面白い作品。

ファム・ファタルの物語でもあり、あるいは男なら一度は考える、一人はこういう人が心当たりにある、そういうところも「中二心」をくすぐってきます。「(主人公と同じように)考えちゃうよなー、こういうこと」というのと同時に「(作者と同じように)考えちゃうよなー、こういう漫画のストーリー」という声も聞こえてくる、その二重性が成功しているのは、非常に稀な例なのかも知れません。


齋藤孝『雑談力が上がる話し方』

を、読みました。

驚くべきことに、2010年出版の本なのですね。最近良く本屋で見るなあと思ってちょっと気にはなっていたのですが、時代の要請がこのタイミングでガチっとはまってきたということなのでしょうか。齋藤孝は大学時代授業を受けて以来、その弾丸のように(未だに!)出版され続けている玉石混交から時々拾いあげては磨いたりしています。基本的に勇気をくれる著作群であり、文学を社会に接続してくれた功績には大きい物があると思っています。

で、雑談力。なかなか難しいものです。ぼくも社内の立食パーティーはおろか部内の飲み会でも苦労しどおしの口なのでいろいろと参考になりました。あんまり自分で何でもしゃべろうとしたりとか、場をコントロールしようとか思わず、相手にボールをクイックパスしかつ自分ではあまりドリブルしないということですね。まあ心構えとして、社会=会社でいきていくのに必要なスキルであることは間違いないでしょう。

ぼくももう状況や自分の嗜好に甘えてられないのです…。


保坂和志『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』

ふつうの人間でも世界に対する根源的な手触りは十代のうちに経験したことが元になる。しかし十代に経験したそれを言える言葉は誰にもなく、その言葉は三十歳になっても四十歳になっても七十歳になっても探しつづけなければならない。

至言。


マシャード・ジ・アシス『ブラス・クーバスの死後の回想』

良い意味で非常にクセのある小説でした。小説を書く小説であり、舞台上の舞台であるとも言えるでしょうか。ただ登場人物の名前が結構似たり寄ったりで別名で登場したりもするので途中でこんぐらがったりしましたが・・・とにかくクーバス氏の「自分大好き!」が斜め45度から突き刺さってくる小説です。