月別アーカイブ: 2012年4月

実は三連休だった

金曜日から休んで久しぶりに気持ちの安らぐ休日を過ごしました。金曜日は一日蟄居して本を読んだり書き物したりだらだらしたあと夕食にハンバーグを作りました。ぼくの守備範囲も少しずつですが広がっていくのが楽しいですね。今回は自分ひとりのためではなく、二人で食べるためなのでなんだかこう、料理をした! という感じです。『基本のおかず』という本が大変参考になります。
 

土曜日は少し寒かったですが嫁さんと池袋のアニメイトに行って足が棒になるまで漫画を物色したりしました。彼女はぼくなぞよりも漫画について博識なのでただただついていくのに必死です。池袋は百貨店もたくさんあるし、新宿みたいに南行ったり西行ったりせずとも大抵の買い物はすませられるのでとても便利です。ISPとヤマダ電機がつながっているので雨に濡れずに済むし。ただ大きいCD屋さんが無いのがちょっと残念ですが。

 

そして日曜日の今日は、同人の集まりがあったので久しぶりに出席してきました。とりあえず私は淡々と今書いているものを完成させることにします。しかしみなさんの実行力というか行動力には頭が下がるばかり。仕事をしていても好きなことはやったらいいし、諦める必要はないし、逆に諦める理由に仕事をしてはいけないし、忙しさに負けてしまっては人生はいっこうに楽しむことはできないな! などと、あらためて思いました。違う境遇にあるの話を聞いていると、別にそういう事を話題にしているわけではない(ぼくたちはお互いに違いますね、なんてことを言っているのではなく)のだけれど、色々なことの前提が違うということに気付かされて、例えば自分がどういう人間か、とかそういうことはどうでも良くなってくる。あらゆる意味で、好きなことだけをやっていればいいのかな。そのために何ができるかを考えればいいのかな。ぼくはむかし「スタイル」とかそういうことにずいぶん悩んでいた時期があったのですが、最近はどうもそんなことは気にせずに、気にならないくらいに自分の好きなことを死ぬまでやり遂げればそれでいいんじゃないかという気がしてきています。

 

…などとなにを言っているのかよくわからなくなってきたので、またあたらしい一週間に備えましょう。

 

久しぶりに

昨日はなんだか飲み過ぎてしまった。室内の飲みではあったのだけれど、次々と日本酒をかぱかぱと空けてしまい気がつけばぐでんぐでん。帰りは準急と各停を乗り間違えて終電間際だというのに最寄り駅をすっ飛ばしてしまった。それにしてもこういう酔っ払い方は学生時代からあまり変わらない。何度か失敗して猛省してゼッタイに次こそはと思っても、飲み始めるとどうでも良くなってしまう。飲まなきゃいいのに。いや、飲みたいんです、たまには。でもたまに飲むとついつい飲み過ぎてしまう。こういうのは直らないんだろうなあ…。

はやいもんで

もう桜が散り始めて緑色が混じってきている。テレビとか映像で見る桜ってどうもずーっと懲りなく咲いているようにも見えるのだけれど、実際一年のうちでああいう「満開」が見られるのは一週間もないわけなんだな。そう思うと、だからこそこんなに熱狂してしまうのか、桜ごときになんて言うとよくないけど。あまりにもその光景はおあつらえ向きなので返ってもういいよ、春、という感じにもなる。でも桜が散ってしまえば梅雨という夏の突端のようなものが訪れるのであって、桜の満開というのはどちらかというとこれで春はおしまい、という合図のようにも思う。梅を春の花と感じていた時代の人たちは冬の終わり、ということのほうが感慨深かってのでしょうか。

今日は家にひとりでいる時間が多かったので小説でも書くのかと思いきやつらつらとはてなブックマークを読んだり、昨日買ってきた堀江敏幸の新刊3冊(写真集って!)などぱらぱらやっていたら日が暮れました。そろそろ同人の集まりもあるのでいいかげん頼まれてもいない創作に目鼻を付けなければ。以上、敢えて公言することによって自分へのプレッシャーとする作戦でした。
ちなみにパスポートは無事取りに行くことができました。これでようやく社会人として一人前になれた気がします。

だんだんと

だんだんと暖かくなってきている。雨が振っても冷たい雨でなく、湿度が上がるのがわかるくらいにはぬるいシャワーだ。こういう時はけっこう体調を崩しがち(周囲も)なのだけれど、とりあえずちっょと頭が痛かったり会社で上着を脱いでいるとちょっと寒かったりというのが時々あるくらいで、たぶん独身寮でクーラーを使いまくっていた頃に比べればこの冬は寒さを体で感じこれから来るであろう夏の暑さもいつも以上に感じる積もりでいる。

しごとのはなし

ようやくここ四カ月くらいしかかっていた案件が解決する。解決すると言っても結局ぼくの計算が間違っていたということが証明されただけなのだけれど、良くわからないまま喉につっかえ続けていたのがようやく取れて、もちろんほめられたものでは決して無いのだけれど、間違いだったということがわかっただけでも本当によかった。まあぼくもあとからあとから自分で穴を掘っては自分ではまり込んで余計な仕事を増やす、そしてしばしば周りの人間をも蟻地獄式に穴におっことすということを繰り返してきたわけなのですが、それになんとも歯止めがかかりません。今回のことでほんとうに最後にしたい。周りの人を巻き込んで、時間を費やさせて、結局「なんだそんなことかよ!」というのは、最初からなければ無いに越したことはないのでなあ。とにかく何度目かわからないくらいですが、実に反省した。反省して、次こそはこれで最後、きれいな身体で……と思うのだけれど、本当にこれで。

安冨歩『原発危機と「東大話法」』

を読みました。

日曜日の午後、一気に通読しました。題名から察せられるとおり、原発事故後のネット上も含めた色々な言説についての分析。その中でも筆者が「東大話法」と呼ぶのは、当事者であるにもかかわらず傍観者的な態度を取り続けて全く責任を取ろうとしない評論家的物言い。その実例を都度都度取り上げ、その裏に潜む日本の社会が個々人に強制する「役割を果たすこと」の圧力にまで言及していくという内容で、原発に対する直接の議論をしているのではなくて原発をめぐる議論のある種の不毛さがいかに現代日本に巣食う病魔を図らずも表現してしまっているというところを突いていきます。

と、紹介しましたがまあこういう本の紹介の仕方ももしかしたら東大話法なのかもしれないのですが。「東大」を槍玉に挙げるのではなくて「東大的なるもの」、というのはつまり権威主義とか、それにおもねりすぎるあまりおもねっている自分が権威かなにかと勘違いしてしまうような危険性を十二分に指摘していく本書は決して難解な学術書ではなくて誰でも読めば分かる内容であるし、日々自分が発してる言説に欺瞞が知らない間に入り込んでいないかチェックするきっかけにもなります。

しかし大企業病というのもやっぱりこういう組織の中で与えられた役割に対して滅私奉公するところから、そしてそれになんの疑問も持たなくなってしまうところから始まるんでしょうね。「滅私」とは恐ろしいもんで、今やっている仕事はたまたま自分に与えられた役割を求められる役割に沿って遂行しているだけで、自分の個人的な心情とかしそうというのはまた別なんだよという態度にだんだん呵責を感じなくなってくる。でも実際はそういう自分個人と会社の中の自分を一致させるように生きて行くことなんて不可能で、会社なんて別に誰かの自己実現のためにあるわけではないし、結局は上役の意思決定に追随するしかない──なんて信じこんでしまうところから欺瞞が生まれる。その不可能さに対してギリギリまでしんどさを感じ続けることしか解決はないんじゃないのか。金を貰っている以上できないことはある。でもそういう思考形態こそが批判されるべきなのか。企業活動が直接間接にでも人命に関わるという意識を少なくとも持つのであれば、なにを再優先しなければならないかは自ずと分かってくるものなのだろうけれど、たぶんぼくのような一般サラリーマンは医療現場とか、原発の補修作業の現場とか、全然知らずに一日バックオフィスでパソコンをいじっているので頭がパッパラパーになっても気づかないんでしょうね。だって自分がもし東京電力に勤めていたらどんな意思決定をしていたか、させていたか、させるような数字を並べた資料を作っていたか、考えるだけで批判は自分に返ってきます。

山川あいじ『やじろべえ』

を、読みました。

一言で言えば『うさぎドロップ』をいくえみ風にした感じ。死んでしまった奥さんの連子と一緒に暮らす男と、その周囲の人間模様、という筋立てはまったく同じなのだけれど主人公はあくまで連子の女の子。彼女の周囲でめまぐるしく活動していく人間たちを基本的には信頼する。いい人達だ、と考えている。でも、考えようによっては、人によってはその善意も悪意に見えてしまうかもしれない。そういう危うい視点=支点を中心に揺らぐ思春期の心の模様を「やじろべえ」というタイトルに仮託しているかもしれない(実際は男の実家の和菓子屋の店名だけどさ)。でもそういうふうに読める。

絵は達者。コマ割りが少し細かくてコミック単行本で読むには字が小さすぎたりもするけど、慣れれば気にならない。それよりも独特のプロット進行、短いセリフを畳み掛けては妙な間を持たせる大胆な繊細さ。このあたりがグイグイ惹きつける。『うさドロ』の焼き直しでしょ? と切り捨てられない魅力は、たぶんモチーフが一緒でもテーマが全然違うからなのだと思う。

おすすめです。

新年度なので

定期購読しているブロガーの皆さんもなんだかにわかに更新が頻繁になってきたり、今年度はもう少し頻繁に更新します宣言したりとやっぱり春は人は狂わせる。こう言いながらぼく自身も知らぬ間に魔力にとらわれていたわけで、まあしかし桜も咲くとやっぱり春という感じですね。通勤コートももう要らないし、身軽になるとその分心も体も動きまわりくなるものなんでしょうか。

まあ、仕事の方はあまりよい滑り出しとは言えそうにないのですが!

あとパヴェーゼの『流刑』を読み終わりました。この作家は堀江敏幸がえらくプッシュしていたのを何処かで読んで気になって読み始めたらハマってしまった作家です。岩波では他に『故郷』『美しい夏』『祭の夜』が既刊です。やっぱりこの人は「夏」という季節に対してどうしようもなくノスタルジーを感じてしまうらしいのです。『流刑』でもやはりそうでした。自身が反ファシズム活動のために流刑地に送られた日々の生活を元にしたほとんど自伝的な小説なのですが、海辺の鄙びた村で酒を飲む夏の日々を緊張感を失わない淡々とした文体で描きながらも、時に叙情的な夏の美しさを歌いあげてきます。もちろん季節は冬へ巡ってくるのですが、その寒さを強調するあまりにやはり夏との対照が浮かび上がってきます。イタリアの夏がどのような光りに包まれているか想像するしか無いのですが、それは流刑地といえど人に恋をさせる魔力をまた、持っているのかもしれないですね。この世はどこに行っても監獄なのだとか何とか言っているメッセージ性よりも、まずは文章の美しさに、そして夏への憧れに共感するあたり、惹きつけてやまない作品群です。

ボヤキ日記

すごい風でしたね、雨はそんなでもなかったんですがちょっとの雨でもあれくらいの風に乗るとすごいもんでした。会社から最寄りの地下鉄の駅まで追い風に乗ってとっとことっとこ走っていったらあんまり濡れずに帰れました。一瞬の凪をついてタイミングを見計らうのが難しいもんです。
 

今日は池袋のデパ地下で惣菜を買って帰ったんだけど高いね、デパ地下って。ちょっとサラダ買ったら500円超えちゃうよ? キャベツいくらで八百屋に売ってると思ってんの? って感じですが、今日はサミットに寄り道できる天気ではなかったので仕方なし。でもあんだけ混んでいるってことは需要があるんだよなー。オリジンじゃだめなのかな。たまにはデパ地下で贅沢しましょ、というノリなのかな。よくわかんないや、お金を持っている人たちの考えることは。

 

明日からはちょっと仕事が忙しくなってきます。

 

深く考えずにボヤキ日記を書いていくのも(ツイッターで息急き切るより)いいかもしれないなあ。

 

新年度ですねえ

今日は会社の周辺も入社式やらなんやらで初々しいスーツに身を包んた入社一年目の若者が沢山いました。帰りの駅では同じような人たちが二十人くらい定期売り場に並んでいました。ぼく自身は会社に入って最初五年間は工場勤務だったので作業着で仕事するのが長らく続き、三十路にもなんなんとするところでいわゆる普通のオフィスでスーツを着て勤務という経験を初めてしたため、あんまり彼らのようにいきなり地価の高い東京本社で時給千円にも満たないような働きをするというジレンマにさいなまれることもなく(そんなこと考えないか…)今日に至りました。なにが言いたいかというと、うらやましいなあということだけです。

でも東京で働くって大変だよなあ。