月別アーカイブ: 2010年8月

森美術館「ネイチャー・センス展」

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に、行ってきました。

六本木ヒルズに行くのは就職活動以来6年ぶりでした。

せっかくお休みをもらっていったのですが、六本木駅は通勤定期圏内のため、「ああ、やっぱり会社に行かねば・・・」という気持ちを抑えるのに必死。

この展覧会は「日本の自然知覚力を考える」と銘打った三人の作家によるインスタレーションで、テーマの統一性もありとても面白かったです。

ビニルハウスの中で羽毛布団の中身(鳥の羽ですけど)を扇風機で大量に吹き上げているものや、天井に設置されたたくさんのペットボトルからたくさんの水滴が同時に落ちてきて下に張っているプールに波紋が同時に起こるというもの、また三面の巨大スクリーンに次々と東京(外国もあったのかな?)の景色が写し出されていくものなど、バラエティに富んでいる上に非常に眼を楽しませてくれるインスタレーションが多かったです(その意味では「知覚」と言いながらも視覚によるものしかなかったような気も・・・)。

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巨大スクリーンの作品はけっこう見入ってしまいました。

ぶーううううーううん、という低い機械音が鳴り響く、広く暗い空間の中で投影されるムービーが次々と切り替わっていきます。

スクリーンがあまりに大きいため、視覚がフレームをとらえることができず、本当に画面の中にいるかのような錯覚に陥ります。

動物園のバク、ゴミ処理場のパワーショベル、誰もいない手術室、地下の駐車場、湖に浮かぶ筏、都心の河を移動していくその川面からの景色、地下鉄の車内・・・それらが音もなく、粛々と続いていきます。

活動であれ、非活動であれ、時間は過ぎ去っていく。

誰も目に留めない、あるいは誰も見たことのない景色が、あまりに人称を欠いたpoint of viewから繰り出される。

そこには人間くささは感じられないのだけど、人間の活動は意図するとせざるとにかかわらず続いていかざるを得ないダイナミズムがこの世にはある。

あなたは知らないかもしれないけれど、誰も見ていないかもしれないけれど、今この瞬間も世界のどこかでは当たり前のように、水は流れ、風はそよぎ、人びとは生活している。

これはたぶん、監視カメラの映像に限りなく近いようでいて、限りなく遠い映像なのだと思いました。

そこにある大きな差異が何なのか、まだ言葉が見つからないのだけど。

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ところでやっぱり六本木ヒルズは好きになれない建物でした。

六本木という土地柄だから仕方ないのかもしれませんが、動線が錯綜しすぎています。

それに輪を掛けて無理矢理人を迂回させてその道道にあるお店にお金を落とさせようとする開発者の意図が何とも見え透いて仕方がありませんでした。

森美術館にしても、どう考えても狭いエレベータで52階まで行ってそこから53階にまたエスカレーターで上らないと入れません。

しかも帰りは50階までエスカレータで降りて、そこからでないと下りのエレベータに乗れない。

そしてもちろんその途中にはミュージアムショップといえば聞こえが良いが、お土産物店が軒を連ねています。

観光ツーリズムの只中に美術館を配置するのは、運営上仕方のないことかもしれませんがやっぱりお金の匂いがプンプンする中にお金で計れないものを置くのにはそれなりの作法というものが求められるのかもしれません。

あるいは、森美術館が「脱臭剤」としての効用を期待されているのだとしたら・・・と、いうのは考えすぎかもしれませんが、儲かることが最優先されるオフィスビルの中に美術館を置くということについて、開発者はもう少し深く考える必要があるようにも思います(だからこそ現代美術しか扱わないのかもしれませんが)。

六本木ヒルズで働いている人で、仕事帰りに森美術館に寄っていく人なんて、どれほどいるのでしょうか?

けっこう多重人格的にならないと、シンドイ気がします。

これは、自分が勤めているオフィスも似たような感じになっていることもあり、一応ホールも併設されているのですが普段仕事しに行っているところにコンサート聴きに行きたいかと問われれば、断じて否! と答えたくなる私の個人的な「センス」にも依るところ大ではあるのですが。

ただし青山ブックセンター六本木店は最高でした。

太宰治原作「パンドラの匣」映画

を、見ました。

太宰の小説の中ではもっとも明るい部類に入るもので、「正義と微笑」を併録した新潮文庫は私の中学時代の超超超愛読書でありました。

映画は原作をほぼ踏襲しながらも最後の場面だけ「ん???」という感じですが、まあ大方の雰囲気はよく伝えていると思います。しかし・・・竹さん川上未映子は小説のイメージとはぜんぜんかけ離れているのだけど、これはこれで存分に楽しめた。芥川賞作家なのにキレイな人だ・・・。

患者の個々のキャラクターはやっぱり小説を読んだ方が抜群に面白い。90分の映画にまとめるにはちょっと盛りだくさんなので、恋愛要素の方に比重を傾けた感じなのかな。

原作を読んで映画を見るとたいがいおもしろくないですが、この作品は逆に原作を知っているほど面白く見ることのできる希有な存在かもしれません。それこそは、「古典」の持つ力。やっぱりみんな、太宰が大好きなのです。

きょうにっき

・今日じゃないんだけど、昨日渋谷に行ったら青学がオープンキャンパスやっていたらしく道行く高校生がみんな同じ紙袋持っていた。青学ブランド恐るべし。

・さっき値下げした吉●屋に行ってきたがあまりのクオリティの下落に愕然とした。さらに割引券までくれてびっくりした。400円払うからおいしい牛丼食べたい。

・それにしても今日は我ながらよく仕事したと思う。

山種美術館

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に、行ってきました。

現在、同館では又兵衛の「官女観菊図」が重要文化財に指定されたことを記念して同館所蔵の江戸絵画を展示しています。

山種美術館は山種証券創設の山崎種二により蒐集されたコレクションを母体としていて、財閥系・私企業メセナ系の中でも日本画を得意とする美術館として知られているようです。

場所は広尾。恵比寿駅から15分近く坂を上り続けてようやく到着したころには汗だらだらでした。やっぱり渋谷のあの近辺は谷底になっていますね。交差点から東西南北を眺めてみると、土地の起伏かよくわかります。

さて、館内は光に弱い日本画の展示とだけあり、先週の国立西洋とは打って変わってかなりしぼられた照明。その中でもさすがに宗達のキンキラキンは目立ちます。

展覧会のテーマとしては「江戸絵画への視線」として江戸期の絵画を総攬できるという触れ込みのようなのですが、又兵衛、宗達はさることながら抱一、基一、大雅までは良しとするものの、それ以外は馴染みのない画家のものも多くなかなか江戸期の流れをつかむのは難しかったかなというのが正直な感想。

そもそも江戸期においてもっとも隆盛を極めた表象文化としては木版、浮世絵が上げられるわけで(もちろん木版以前も江戸時代は続いていましたけど)、そうした時代背景の中での日本画・文人画の位置づけというのがどういったものなのかが前提知識として不足していたかなあ。そもそも「日本画」っていうのが明治以降の概念だし・・・。

今でこそ又兵衛なぞメジャーな存在ですが、当時どれほどの人間が見ることができたのか? どのような享受のされ方をしていたのか?

パンフレットにもなっている「官女観菊図」などは、辻惟雄によれば古典主義をかなぐり捨てた「何とも淫蕩な表情」をたたえているそうなのけれど、そういう「眼」を持てるのはやっぱりある程度の鍛練を積んだ層での楽しみ方なのかもしれない。

・・・などと考えてはみたものの、先週に引き続き圧倒的な知識不足を感じているので勉強、勉強です。