峠は越えたが次の峠が見えている

いやはや・・・更新がちょっと空いてしまいましたがまあなんせ仕事がしんどかったりしたのです。前所属とはしんどさの質が明らかに違ってきています。自分の作った数字だとか情報だとかが直で役員クラスへぶっ飛んでいってしまうので「ああ! すんませーん、やっぱり間違ってましたー!」といういつものアレがもはや使えない。室内の人員構造を考えても、今までのように一度管理職クラスが徹底的にぼくの作った資料のチェックをしてくれる時間も義理も無いので、責任の度合いというかプレッシャーの度合いが半端ありません。

経理というとなんだかエラソーなので、というか背後に経営管理部隊だとか法律で決められた会計ルールだとかを背負っているのでぼくのようなぺーぺーでも虎の威を借りることもできたのですが、今や営業部隊のチョー末端に位置しているので、こちらからどんどん情報を取りに行かないとだれもなにも教えてくれません。っていうか、それが本当の仕事の姿だよなあ・・・今までほんと甘い生活を送ってきたよなあ・・・と、ちょっと自分のスタイルも変えなきゃいけないかなと思っている今日この頃です。

こういうとき有効な読書というのもなかなかわかりません。経理時代は会計のイロハとか勉強していればなんとかかっこも付いたのですが私はいわば「営業をしない営業」柔構造の下っ端なのでこれをやっとけば大丈夫だよ! みたいなのが全くない。まさに人間力(会社でよく聞くこの言葉は本当はあまり好きではないのですが・・・)だけの世界です。それがまたシンドイ。自分の仕事のデキナサを毎日目の前に見せつけられている気分です。そりゃ朝からため息も出ますよ・・・。

──というような日記はあまり書きたくないんだけど、正直な感想として書きとどめておきます。


土日日記

土曜日は横浜の実家に帰り、車売却の交渉をする。合計三社に車を査定してもらったが・・・

AM 一社目R社
名刺を見るとけっこうお偉いさん的なおっさんが来る。中古車ビジネスについては門外漢だったぼくにいろいろと教えてくれる。今はどこに売っても相場がインターネットでわかってしまうのでだましあいみたいなことは全くないらしい。逆に言えばどこに売っても同じくらいの値段しか付かないとのこと。ただ10万円+αといったところだがオークションならもう少しいけるかも。──とりあえず最初の一社目なのでここで決めずにお引き取りいただく。

PM 二社目C社
若いにーちゃんがやってくる。査定士というのはもっと整備士みたいな人かと思っていたのでびっくりする。ちゃらちゃらトーク炸裂。値段を明示してくれないのでお引き取りいただく。

PM 三社目G社
30代くらいのやっぱりサラリーマン風の男の人。この人はかなり業界に熟達しているようで、いろいろとあの会社はこうだのああだの言い散らかしてくれる。「ぼくら査定士は整備士ではないので車の構造とかはさっぱりわからないんですよ」とかなり正直な人だった…いろいろとサラリーマン的な話をしてもらう。けっきょく15万という金額を明示してくれたのでここで決めた。まあ、そんなに悪い人ではなさそうだし。

PM 四社目K社
断ろうと思って待っていたが時間になっても現れず。あとで電話がかかってきて16時を6時=18時と勘違いしていたらしい。その時点でアウト。とりあえずわびを入れ、終わる。

そんなわけで遊び金15万ゲット!! 三年前に70万で買った軽だったのですがなかなか良い値が付いたのでほっとしています。必要書類をそろえねば。

で、横浜をあとにしてその日は大学時代の友人と丸の内で夕食。3年ぶりくらいだったがお互いあんまり変わらず。みんなどうしてるのかなーみたいな話。お酒もお食事もおいしゅうございました。

日が変わって日曜日。日中は車関係の書類を整理したり(自動車税の納付書を捨ててしまっていたのだ!)小説書いたり昼寝したり。と、思いきや教育実習仲間から夕食に誘われたので有楽町へ。

こちらもまたまた3年ぶりくらいの再会。男四人で餃子を食す。お互いあまり変わらず…ではなかった! とんでもない黒歴史を開陳してくれたK氏のネタは必ずや小説にして世に問うことにします。それはともあれ、現職で教師をやっているのはそのK氏だけでぼくも含めてあとは官公庁なり私企業なりに勤めているわけですが、やっぱり違う業界の話を聞くのはおもしろいですね。

「学生と変わってない」「しゃもぢがあんまり変わって無くてほっとした」と口々に言われましたが、まあ昨日の夕食も含めて会社時代より前からのつきあいの人ってすんごい久しぶりに会っても若い頃のベースの部分はしっかり共有しているから、一から説明し直すっていう感じが無くて(例えば合コンみたいなのとちがって)とても居心地がいいです。そういう人間関係はたぶん切れないんだろうなー。距離と時間に強い関係っていうのが、ほんとの友達なんだと思いました。

帰りは新宿でCoccoの新曲を買いましたとさ。


きょうにっき

小説が進む。こちらに来てからはテレビもないので時間を無駄にすることなく執筆活動にも時間を割くことができています。と、言いながら今書いている(インターバルはあるがもはや二年越し・・・)「ノブレス・オブリージュ」はかなり先が見えず、自分の中でもテーマが陳腐化している感がぬぐえない。ので、なにか新しい要素を織り交ぜながらブラッシュアップしていきたいとは思っています。こういうとき、焦って違う題材に手を出すと必ず「ああ、また未完の束が・・・」ってことになりかねないので。ラストシーンはぼんやりと見えてきてはいるのですが、そこまで持っていき方にまだまだ苦労しそう。純粋に知識面で足りていないところも多々あるので。

ところで車を売らなくちゃなりません。車検は8月まで。自動車保険もちょうど6月で更新で、「売るからいいです!」と言ってしまった。というわけで、今日はネットで複数社に一括見積もりをお願いするサービスがあったので気軽に登録してみたらじゃんじゃん電話かかってくんの! とりあえず来週実家に戻って、四社くらい一日で入れ替わり立ち替わり来てもらうよう日程を組みました。めんどくさい・・・こういう自動車関係の手続きのめんどくささと言ったら無い。やれ税金の証明証(そんなの払ったらゴミ箱行きだって!)だ、印鑑証明だ、住民票だ、なんだかんだと、そういう実務能力って私はほんとに無いのです。いっそ買い取りの業務代行サービスとかあったらいいのに・・・こればっかりは本人証明が伴うので難しいのかな。とかそんなことをやっていたらもう七時じゃないですか!

来週はかなり業務がシンドイので初タクシー券かもしれませんので乞うご期待。


自転車

正午起床。どこかへ行くには行き先でゆっくりできない時間でもあるのでとりあえず自転車に乗って外へ出る。

まずは中野中央図書館へ。鹿島時代もそうでしたが、まずは地域で一番大きい図書館、「中央」と名の付く図書館に行くのが楽しみです。ところが! なかのZEROの地下にある図書館は意外としょぼかった・・・それよりはホールが充実しているので、中野区にとっての「文化」とはステージアクトの方が念頭にあるのかもしれないな、と勝手な結論。充実した図書館って、地方行政的にはどうなの? よくわかんないけど、人が読まない本を所蔵しておくのも税金の無駄とか言われかねないけど、人が読まない本を所蔵しておくことこそ公共、なんて見方もできたりするのかな。しないか。よくわかんないけど、小ホールの前で高校生風の若者たちが一心不乱にダンスの練習をしているのを横目に見ながら大久保通りを新宿方面へ。

いっつも工事中の山手通りへ右折すると、天気もいいので思い切って渋谷まで下ることにした。それにしても起伏の激しい地形なので坂を上がったり下がったりで、非常に足が疲れました。懐かしの駒場キャンパスの裏あたりまで来て、松濤をうろうろしてからUターン。サイクリングコースとはとても言えない山谷をまた超えてヘトヘトになりながら帰りました。初台って新宿のイメージが強いんだけど渋谷区なんですね。新宿方面はだいぶ制覇してきたので今後は南の小田急・井の頭線近辺へ足を伸ばしてみようと思います。夕食は笹塚駅前の大戸屋。自分の知っている昔の大戸屋と違ってシステムがただのファミレスと一緒になっていた。ホッケがおいしかった。

そういえば小学生の頃も自転車で遠乗り良くしていたなあ。国立に漫画が立ち読みできる本屋があるって聞いて片道一時間かけて行ったり、遠乗りのことを日記にめちゃくちゃ長々と書いて先生に読んでもらうのも好きだった。変わってないってことです。


っていうのが若さ

あんまり眠かったから、帰ってきて布団に入って一時間くらい眠っていたら同期が部屋に入ってきたところで起きてしまった。十二時をちょっと過ぎていたのでお風呂に入りにいった。そんなわけで昨日と同じくらいの時間なんだけど、ちょっと目は覚めている(これ、いいのか?)。

むかし夢中になって読んでいた某ブログを読み返していたら、その若さとか、若さによる文章の張りとかって古びないものなんだな、と思った。

毅然とした断定は、だからこそあとで間違っていたと思い返したとしても、そのときはっきりとそう思っていたということこそが大事なのであって、曖昧なままの人はずーっと曖昧なままなんだと思う。断定って、すごくエネルギーいるし、それを表明することで読者を敵味方にわけてしまうところがあるでしょ。

でもそういう文章を書き続けるってことはなんだか憧れてしまうなー。

激しいくらいの反発は、かたくなになりさえしなければ「考える」ってことの出発点に充分なりうるだろうし、そういうのがベースになっている人間関係というのもすごく面白いと思う。というか、そういうのをちゃんと許し合える人間関係っていうの?

話が矛盾するようだけど、全否定か全肯定化じゃなくて、あなたのこういう部分はわかるけどこういう部分はわかららない、と口に出してちゃんと言い合える、みたいなさ。

過去も含めてぼくの周りにはそういうのってあんまり無かったけれど、会社という場所にいると自分という像が相手によって規定されてしまう部分がたくさんあって、それが多くは役職とか経歴とかに多く依存する。そういうのって人間のごくごく一面だとぼくは思っているのだけど、でも会社という場所は一日のほとんどを過ごしているわけだし、会社の人間と会社以外の場所で会社の人間同士ではない関係で会うってことはすごく希有なことなので(全員とそんなことはできないよ)、結局のところ一面であるという事実は変わらないのだけど、会社という場所にいる間はそれが全面にすり替わってしまう。

でも、たぶんむしろそういうところで救われる場面もあるんだろうな。全人的な関係じゃないから失敗とかも括弧の中に入れられるというか。でもそういうのは最後の最後でいいと思う。

なんだか、自分の輪郭が、新しい居場所にいてだんだんぼやけてきて、まわりからの浸食に耐えられなくなっている。あるいは、まわりがぼくという人間をこうだろうと思っているに違いない像に脅えている。

こちらから、押し返す力が、欲しい。


ニコニコ動画

なんつって、明日DVD来るかなー。。。


【小説】ノブレス・オブリージュ〈第六章〉

     六 再びの東京駅

 夜になって磨理の前に姿を現したのは意外にも本田教諭だった。内心、怒りをあらわにした母親が大きな足音を立てて階段を上って来、横っ面のひとつでも張られるのではないかと思っていた磨理にとっては、そんな自分のドラマチックな想像力の幼稚さを恥じると共に、母親がどんな考えで福島に残っているかわからないその不可解さ──その不可解さに対する恐怖が背中を走り抜けるのを感じる。本田の姿を目にしたとき、母親との再会が少しだけ後のばしにされたことを、彼女は必ずしも喜ぶことができなかった。大げさに言えば、真実が少しだけ自分から遠ざかるような気がした。
「何をやっているのよ……あなたは」
 狭い控え室の扉が五時間ぶりに開いた。本田は長い髪の毛をくしゃくしゃに振り乱し、珍しく眼鏡をかけていた。なりふり構わず自分を迎えに来てくれたことに、そして自分を探してくれる人間がまだこの世にいてくれることに、磨理は張りつめていたこの二日間の感情が一気にほぐされるのを感じる。そして自分の意志ではどうしようもない涙が目から流れ出る。お座なりな演出だ、こんなのは。磨理は思わず出てしまった本心を恥ずかしがって隠すように手の甲で必死にあふれてくる涙をぬぐい続ける。こんなところで泣くのでは、自分が意を決して出てきたことが全部ウソのようになってしまう。感情のつじつま合わせはいつだってすべてが終わった後でないと取りかかることができない。パイプ椅子から思わず立ち上がる磨理の身体を、本田は両手で抱きしめる。「なにをやっているの」と言う声も次第に震え始め、何度も繰り返すようになり、そして最後にはその形も失っていった

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