残念ながらの連勤で。

来週で今年が終わるということだけがぼくの目の前につるされているニンジンです。

月曜日は所休日なのですが、土日と出て、今日も「明日もがんばろう!」と宣告されたしゃもぢさんを見かけた人はそっとしておいてください。

火曜日の会議資料は一体いつ作ればいいのでしょうか・・・。

愚痴ばっかりでほんと最近スミマセン。


寝ます。

生存確認日記と化していますが。。。

昨日からめちゃめちゃ体調が悪いデス。今日はほんと早退したいくらいでしたが全く言い出せる気配でなく・・・。

人間はモノです。モノは大切に使いましょう。


ふう。

睡眠時間が少なくて能率が落ちる、能率が落ちるので夜遅くまで仕事せざるを得ない。そんなデフレスパイラルに陥っていますが・・・来週はさらに鬼の予感なので明日(っつーか今日だけど)も逝ってきます。

愚痴ばっかりでスイマセン。

今日はビタミンMに間に合った。


ぶらぶら歩きたい

はやっているのかどうなのか知らないが、『モヤモヤさまぁ~ず』のテレ東的な「地方としての東京」という視点が大好きだったり、最近はこの人をおいて東京散歩は語れないだろうという大御所タモリによるNHK総合『ブラタモリ』(ほとんどタモリ倶楽部とやってること変わらないような気もするけど)も見入ってしまったりする今日この頃。

「高炉とカーテンウォール」を書きながらかなり考えたことではあるのだけど、どんな街にも歴史というのがあってその歴史の集積が今現在の都市を形作っている。今も昔も全部が「今・ここ」にあるのが都市の面白いところ。だから昨日建てられたビルの横に江戸時代の祠があったりするのが珍しくない。けれどそのことが驚いてしまうのは「今」は「今」によってだけ形作られているのではないということが必ずしも人びとの自明になっていないからなのでしょう。

それにしてもやっぱり東京というところは歩くのが一番面白いと思う。適当に歩いてもどこかしら地下鉄の駅があるから、迷子になって途方に暮れるということはない。歩いて楽しい街、散歩したくなる街、そういうところに住みたい。

ひるがえって、自動車がなければ何もできないわが街──この典型的郊外というところは、空白が多い。それも意味のある空白ではなくて、無意味化を、非存在化を強制されている空白。たとえば寮から本屋まで車で行くとするとその間には片側二車線の道路しかない。というのは、それしか目に入らないのだ、移動している当人にとっては。新しいお店ができても「前に何があったっけ?」なんてことにはならない。なにもなかったのだ。人も入らない、ただの空き地があったに過ぎない。

密集した都市の中の空白というのは空白というだけで価値を持つけれど、ここではそうはいかない。車が走るか人がお金を使うか、そのどちらかがなされなければそこは人びとにとって存在しないも同義なのだ。だから人びとは車を速く速く走らせる。一刻も早く目的地に着いてお金を使いたいと焦る。点と線。それだけ。土地は有り余るほどあるから、点と点が寄り集まって面となることは決してない。人びとの生活範囲も線状である。絶え間ない往復運動は、シーシュポスを思わせる。

目的さえあれば明確なガイダンスの得られる論理的な街である。人びとの求めるものをよく知っている。しかしそれ以上にならない。

茨城の交通事故のニュースを見るたびに悲しい思いになる。もっとなんとかならないのか、と思う。歩いて暮らせる街にならないのか、とも。


ボーナスボーナス!

ボーナス頂きました。

今回はどうしよう・・・これまでは出版費用やら車買ったりやら、ハチクロのDVDに日本古典文学集成、太宰治全集、三島由紀夫全集、小林秀雄全集と素晴らしい投資を成し遂げてきた私ですが、夏のボーナスで買った小林秀雄全集はまだ全16巻中まだ9巻までしか読み進めていない・・・。これ以上全集を買い込むと部屋がつぶれそうなのだが、ただやっぱり芥川、夏目は全集欲しいーなー! この二人の作家は私の後半生の人生に必ず必要な気がするのですが。。

ひさしぶりの土日2連休なので読書するぞ!

ちなみに先の「小休止」ははなはだしい勘違いでありました。