〈勝間和代〉を目指さない

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)
しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)
香山 リカ

曰く、〈勝間和代〉を目指さない。よっしゃ、よくぞ言った!! 香山先生の本はけっこう当たりはずれ激しいけど、この一言だけでだいぶ救われたぞ。私も、根っからのアンチ・カツマ、です。庶民はもっともっとギリギリで生き抜いているんです、いじらしいほどささやかな幸せを糧に。昨今はゆとり何とかの反動なのかやたら国際競争だとか上昇志向を称揚する動きがあるけれど、私は全くもって与(くみ)しません。そういうことを言うあまりに素朴な人達は、全世界の人間が同じレースに参加しているとでも思っているのでしょうか? とんだ勘違いです。競争指向の人達の中で勝手に順位付けして、そもそも参加してない人にまでおまえは不戦敗だとか言ってくる連中には唾でも吐いてやります。


【小説】御茶ノ水橋…14

十四 エピローグ~田中麻衣との対話

 記憶ってどんな形で最後は残ると思いますか?

 誰にでも忘れられない瞬間というのはあると思うのだけど、あとあと考えてみるとそういう記憶って映像──というか、スナップ写真みたいな形で脳裏にずっと居座っていることが多いんです、私の場合。最初は声とか、言った言葉とか、匂いとか、そういう他の触覚に訴える情報も付随していたと思うのだけど、いつの間にかそれがごっそり抜け落ちて行きます。なにかの漫画で、主人公の女の子が好きな男の子の「声をいつまで覚えていられるのだろう」と絶望するシーンがあったのですが、彼女を救うことは出来ないかもしれない。そして、スナップ写真も最初は鮮明な姿をとどめているのですが、だんだんぼんやりとハレーションを起こしていきます。最後に残るのは──なんと言ったらよいでしょうか、「光の感じ」とでも言うしかありません。ルクスでは測ることの出来ない、夏のぎらぎらした陽光や喫茶店の中の柔らかい間接照明、冬の張りつめた朝日。そんなものが最後には残るように思います。

 それがあなたの写真を表す一つのキーワードであるならば、ぼくは記憶の根源のようなものに触れてしまったのかもしれません。そこからはあらゆるものがくみ出せるのです。だから共感という言葉も成立するのだと思います。

 私は、あなたの言うような瞬間をなるべく写真に撮るようにしてきたと思っています。その意味で、あなたが感じていたノスタルジアをあらかじめ先取りして溜め込んでいたのかもしれませんね。私にとっては人を撮ることにしか興味がなくて、そうすることで一番よくわかるのが自分自身なのです。いわゆる決定的瞬間のようなものではなくて、本当になんでもない場面のものの方が理解の助けになります。私を形作ってきたもの──。

 だから全く関係のない赤の他人はあなたのファインダーの中には登場しない。

 もちろん。あなたもそうなのではないですか? 写真は撮った瞬間が創作なのではないのだと思います。それを見返すことによって、例えばあなたが過去の出来事を文章のそこかしこに散りばめるように、撮った瞬間を後で「見る」ことの中に創作があるのだと思います。というか、写真の力っていうのは、見る人にそうせざるを得ないところにあるのだと思います。

 どうしてぼくにとっては赤の他人の姿が映っている写真を見て、こんなに心動かされるのかを自分なりの理解の仕方で分析しようとすると、結局は自分のことに戻ってきてしまいます。この小説は、もしかしたらずいぶんとぼく自身とは関係のないエピソードで飾られるかと期待していたのですが、やっぱりそうはならなかった。

 私たちは自分が大好きなものを書いたり撮ったりしているだけだからです。そしてそれでいいのだと私は思いますけど。私たちは自分を知るために表現をしているのだと思っていましたけど、そうではないのですか?

 それでいいと思います。自作解説は好きではないですが、あえて言ってしまうと、ぼくの場合はあったかもしれないもう一つの人生を描き続けているようにも思います。あなたの写真を見て、たまたまなのかどうかわかりませんが、親しみを感じた。そしてぐいぐいと引きずり込まれました。もちろん、あなたの写真を契機にして自分自身の中に、という意味ですが。

 ところで、神田川は海にたどり着きません。隅田川に注ぎ込むのをご存じですか?

 ええ。さしずめ、墨東奇譚に願をかけたようなものに誤解されるかもしれませんね。それも当たらずとも遠からずですが……結局のところ高井戸まで逆流して見せた切りで、ほとんど同じところをうろうろしていただけなのかもしれません。ただ、これでぼくもようやくほとんどの場面をスナップにしつくした満足感を覚えているのです。ずいぶん時間がかかる非効率的な道具立てですが、ぼくにとってはエピソードを文字として残しておくことが一つのスナップショットのような役割を果たすのです。

 現像までにえらい時間がかかりますね。

 それもずいぶんゆがんだレンズです。でも、ゆがんでいるからこそ自分の見たそのままを、ありのままの主観を、投射できるのかもしれません。

 写真だって、真実を写しているわけではありません。写真が日本に輸入された当初は「光画」という翻訳語を使っていたそうです。私はこっちの言葉の方が好きです。写真を見たからってなにかがわかるわけではありません。むしろフレームから外されているもの多さに戸惑うばかりです。

 同感です。でも、全てを書き尽くすことは不可能でしょう。地球の姿を写真で撮ってみたところで、あるいはグーグル・アースで拡大と縮小を繰り返したところでなにがわかるでしょう? この物語の中にも書かれていないことはたくさんあります。

 余白に対して、私たちはなすすべもありません。ただ最初に言ったように、私にとっては写り込んだ光の織りなす模様が全てです。なんのキャプションも必要ありません。失礼、あなたの書いたものを否定しているのではなくて、それらは並立の関係にあるのでしょう。あなたの書いたものに対するキャプションが私の写真である、なんて比喩も意味をなさないでしょう。私たちは、同じものを見ているのに過ぎないのですから。誰のものでもない、人類の記憶の光源を。

 これからも目をそらさずにいられますか?

 あなたは?

 ぼくはもうすっからかんです。全て出し切ってしまって、もう何も思い出すべきことは残っていない。

 であれば、新しい記憶を探しに行きましょう。私はいつもそう思ってカメラを手に日々を送っています。あなたのすぐそばの、あなたの大好きな人達の中に光は宿っています。それを見逃さないでください。道具に縛られることは愚かなことかもしれませんが、カメラという手段があるからこそ私たちは「見る」ことについての新しい概念を手にしたのです。そのことにまずは感謝すべきです。そして、写真を撮り続けること、書き続けることこそが私たちに許された唯一の献身なのです。


【小説】御茶ノ水橋…13

十三 喫煙所での提案

 教育学部のラウンジが禁煙になったおかげで私は図書館を挟んだ反対側にある文学部の喫煙場所、通称「非常階段」まで歩いていかなければならなかった。どうやら今度新しく変わった学部長が自ら「将来教職者たるべき学生をあずかる身として学部内に喫煙所が存在することはとうてい認められるものではない」と息巻いて一夜にして撤去してしまったらしい。反発はむしろ所属の教授連から出ているらしいけれど(彼らの二言目には「ファシズム反対」を唱えるのもどうかと思うれど)、まあ同じ学内とはいえあまり見知った顔のいない場所を憩いの場所にするのはあまり気の進む話でないことは確かだ。
 「非常階段」は三階と四階の間の踊り場に小さな灰皿が設置されており、屋外の階段なので雨の日は使えない。よく授業の終わったあとの教官と学生たちが談笑している姿が見られて、古き良き文学部のの伝統が息づいている一画なのだろう。政治の季節にはさぞここで激論が交わされたに違いない──踊り場を囲う鉄製の柵には今から見れば大時代なスローガンの書かれていたのであろうペンキのあとが錆びに紛れて黒ずんで残っている。
 その喫煙場所に向かうべく螺旋階段の突端、一番下までやって来ると上から「明子!」と私の名前を呼ぶ声がする。見上げると石田が煙草をくゆらせながら柵から身を乗り出して見下ろしている顔が見えた。
「こんなところまでわざわざ吸いに来るの?」
「君たちと違って肩身が狭いのよ」
 上から覗く姿がビートルズの有名なアルバムのジャケット写真みたいだ。けれど日ざしが強い。私は階段にヒールを響かせながら上っていく。足元から気温を吸い込んだ鉄板の熱が伝わってくる。日傘を持ってくれば良かった。
「海、行かなかったの?」
「柿崎君の言っていたやつ? 石田こそ元部長なのにそういうイベントには参加しないんだ?」
「俺はたまたま本屋のバイトと重なっちゃってて」
 石田は得意の(これは本人談だが)ドイツ語を生かして大学近くの輸入書籍を扱う書肆で夏の間だけアルバイトをしている。キャンパスにいるのはお昼休み中かなにかなのだろう。
「明子こそ、遊びに行くより図書館通いの方が重要そうだな」
「私は──まあ、優等生君たちの青春ごっこにはつきあいきれないのよ」
「あいかわらずだねえ」
 そう言って石田はくっくっとかみ殺すような笑い声を上げる。私は別に冗談を言っているつもりはないのだけれど。
「そうは言っても、俺たちも会うの久しぶりだよな。ずっと卒論やってたの?」
「そんなわけないじゃない。たまには遊びに行ったりしているよ。この前、そうそう、学部の友達で回転寿司を食べたことがないっていう子がいて、どんだけお嬢様なんだ! と思って連れて行ったのよ、築地のそこそこいいところに」
「ほう、それはまたいいね」
 彼は新しい一本を、私はかばんの中から自分のメンソールを一本取りだして点火する。
「それでそのとき聞いたんだけど、その子最近どうしようもなく煮え切らないデートをしたっていう話をしてくれて、本人の名誉のために詳細は省くけどさ、よくよく聞いてみると相手が大賀君だったのよ」
「うちのサークルの?」
 石田は口から煙草を落としそうになる。
「大賀ってけっこう懲りないところあるよな。前に美絵とつきあってたよね」
「美絵の方は自分の人生における唯一の汚点だって言ってたけど」
「ひどい言いよう」
「大賀君ってわりと破滅型だから無理と充分承知の上でがっつくからたちが悪いのよ。そのくせ見た目がそれほど悪くないってことに自分でうすうす気づいているところが輪をかけて彼をダメ男にしている」
「明子さん、今日はいつにも増して意見がキビシイね」
 私たちは話をする、くだらない話を。
 日ざしはますます強くなる。額から汗が流れ落ちてくる。三十分以上はこんなところに立ってていられないな、とは思っても地上四階でこの暑さなのだからあのアスファルトの上は今頃はさらに暑くなっているだろう。
 風が通りすぎる。キャンパスの緑が揺れているのが見渡せる。都会のど真ん中に位置するキャンパスの中はまるでこの大学が創設された明治時代から時が止まっているみたいだ。聖域。世の中がどんなに便利になっても、関東大震災後に築かれた過度に堅牢なレンガ造りの建物とそれを囲む深い森とは毅然とした態度を変えようとしない。百年前にここを歩いていたであろう人達と、私たちはちゃんとつながっている。
 私は一本目の煙草を灰皿の中へ落とすと、両手の親指と人差し指とを使ってフレームを作るとゆっくりと右から左へ視界を動かしていく。図書館北側の茂みの前は合格発表が張り出される場所だ。私の高校は合格発表の日が卒業式だった。この大学を受けた同級生たちはみんな連れだって発表を見に行ったらしい。私はそんなのはいやだから家で合格通知が来るのを待っていた。一人ででもいいからやっぱり見に行けば良かったなと、今は思う。木の上に上って下りられなくなった猫をみんなで助けたこともあった。あれは、何年生の時だったっけ。フレームの中からわき起こるいくつものエピソードを私は数え上げていく。
「ところでさ」
 石田の声のする方へ私の手は動いていき、煙草のパックを胸ポケットへ仕舞いこんでいる彼の姿をとらえる。
「うん?」
「これは、元部長としての提案なのだけど、卒業展覧会をやりたいんだ」
 私は手を下ろす。
「まだ誰にも話してないんだけどね。とりあえず元副部長でもある明子には知っておいてほしくて」
「やるとしたらいつ?」
「わかんない。卒業式の直前かなあ。みんなまだいろいろ忙しいだろうし、卒業なんて言葉も聞きたくないだろうから温めているんだけど」
 そう言いながら石田は床に置いていたかばんを持ち上げ、腕時計をちらりと見る。
「そろそろバイト戻るわ。ちょっと考えておいて。みんなの気持ち次第だけど、最後くらいまとまった何かをぼくたちも必要とするはずだよ」
 そして彼はにやりと含みのある笑顔を残してさっさと階段を下りていく。残された私は「卒業展覧会」という言葉が心の水面にぽちゃりと落ちたその波紋の形に耳を澄ませる。
 いやな気持ちはしなかった。むしろ温かな何かが体中に広がっていくのを感じる。しばらく忙しくて手に取っていなかったカメラを持って街へ出て行きたい気持ちが静かに高まってくる。永遠に今の生活が続くような気がしていたころ、一日中外でシャッターを押し続けても飽きなかった。大学に入ってから偶然ある授業で見た木村伊兵衛の写真に魅了された私は、一方であまりに自由で広大すぎるキャンパスでの身の処し方に途方に暮れていた中で、写真を撮ることを現実との紐帯にしていたように思う。
 「青春ごっこにはつきあいきれない」と啖呵を切ったわりには、しばらく忘れていた気持ちを思い出す。思い出させられる。その、一言によって。
 ずるいなあ、と私は眼下の石畳を歩いていく石田の背中に向かって思う。そして、あーあ、と伸びをして「やっぱり海に行きたかったのかなあ、私は」と図書館の上に広がる真っ青な空と次々と形を変えていく入道雲を見ながらぼんやりとつぶやいた。


ロリポブログようやく…

リニューアルされるようですよ!
このブログはあくまでもロリポレンタルサーバーのおまけみたいな位置づけだったので、テンプレとかも自作しない限りほとんど種類がなく、また画像アップロードもいまどき100KB/枚以下でないとできなかったりとなにかと不便なものなのでした。ロリポブログユーザのフォーラムがあるのですがそこでもさんざんこの2点は要望があって、ようやくペパボ御仁が動いてくれたようです。ありがとう!

旧ユーザは9月以降にならないと移行ツールがリリースされないようなのでもうしばらく我慢我慢ですが、楽しみですねー。

と言っても書いてる中身は全然変わらないかもですけどね! 今日は月曜日なので疲れました。


7月の終わり

今日で7月が終わりました。ぼちぼち新しい仕事の足音が近づいてきております。私の人生の夏休みもあと一ヶ月といったところでしょうか。常に明日は予算期という気持ちで毎日過ごすのもなかなか乙なものです。今日一日平穏に過ごせれば、それで良いではないか。明日のことは今日煩うなと聖書も言っているではございませんか。明日出来ることは今日やるなと偉大なる先達がおっしゃったではありませんか。

とりあえず今私のベッドを占領している同期を追い出さなければなりませぬ。