月別アーカイブ: 2009年7月

送別会

今日もまた余力100パーセントでした。今日はゴルフの日なので上司以下ほとんどの人がお休みのため、会社に来ているということ自体に希少価値のある日です。のーびのーびと机の中の整理を一日かけてやりました、というのはウソで、まあ、後輩指導などさんざんやりましした。

夜は室の送別会で、今日もまた経理を離れる若者が一人……。まあ、こういう部署で定年までやっていくことのしんどさみたいなのは、ぼくも多少は推し量ることも出来ますけど家庭とか持っているといろいろ事情もあるでしょうし想像の範疇にない部分もあるのだと思います。

一般事例として言うと、お父さんが毎日いつ帰ってくるかわからない上に深夜にならないと帰ってこない、あるいはお母さんだって同じことなのですが、そういうのってやっぱりおかしいですよね? あるべき姿ではないですよね? そういうの、子どもが当たり前と思っているって変ですよね?

ひるがえって自分の父親のことを考えると、うちの父はメーカーのR&Dのようなところに勤めていたのですがだいたい七時前後には帰ってきていてみんなでご飯は食べていました。「遅くなる」という電話があっても九時をまわることはまれでした(ただあの時代は土曜も出社でしたけど)。それが本当にラッキーなことだったのか、別に子どもの教育上夕飯は親子そろってないとダメだとかそういう論理破綻した押しつけがましい倫理とか道徳の話では全然なくて、ただ単純に、親父がそんなんだったら、いらない気もたくさん遣うだろうし、家族として同じ家に住んでいる意味がないだろうし……と思ってしまいます。

単純にそういうのが許されてしまうのは違和感があるのです、私は。

──というようなことは一端なのでしょうけれど、ただ現実としてそういう人はうちの室だけでなくて世の中にはたくさんいるでしょうし、一方で独身者だって「家族ある人はそれがいいわけに出来るからいいよな!」なんてことだって思わないと言ったらウソになるでしょうし。

なんでこんななにうまくいかないのかと思います。

ただ単に、「ああ、もっと自分が強くあれたら」という問題ではないような気がします。

私はこういうのは結局誰が悪いとか、例えば上司に責任転嫁したって始まる話ではないと思います。どこかの時点では自分が決断した積み重ねが今なのだから究極的には自己責任だろと言われればそれはそれで一理ある。けど、犯人捜しをしたってどうしようもないところまで来ていて、いやそれどころか「誰が悪いとかじゃなくてシステム自体が悪いんだ」とか言っても始まらないところまで来てしまっていて。

頭の悪い私にはなにが正解なのか、解決方法がなんなのかわかりません。

人間なんて最終的には自分のことしか考えてないし、それでいいと思うし、そういう中で流動的な組織がやっていくっていうのが奇跡みたいなことだと思うのだけれど、どうにもやりきれない瞬間というのはあります。なんでこの人、新婚さんなのに12時過ぎまでいるんだよ、とか、いやいやいてくれているのは自分に仕事を教えてくれるためじゃないか、とか自分がオーバーフローした分を手伝ってくれているからじゃないか、とか、なんかそういうときあるんですよ、消えてしまいたくなることが。

目の前の席で仕事をしている人間が自分の家族だったら、こんな仕事やめてしまえばいいのにと思うでしょう。それでもどうしようもないのです。みんなどうしようもなくて、本当に、そうするしかないからそうしているのです。みんなやりたいとかやりたくないとか、好き嫌いとか、これ出来たら自分がステップアップするかもしれないとか、思い描くキャリアパスの中で必要な能力がためされるかもしれないとか、誰かに褒められたいとか、そういうので動いているのではないのです、決してそうではないのです。

きょうにゅっき

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今日も相変わらず勉強会と称した余力活用にて一日を終えました。今日は勉強する方がメインだったのでうんうんとうなりながら新しいことを覚えました。いよいよ私も経理にいながらにしてやっとこさ会計チックな世界に片足つっこむようです(非公式だけど……!)。

そこでやっぱり昨日書いた30分読書法は五冊でローテーションすることにしました。一冊は会計とか経理の勉強の本を、一冊は英語の勉強の本を、という卑しい実業界への出世欲をちらつかせながら残り三冊は存命作家一冊、クラシック一冊(できれば海外)、テーマ勉強(「写真」とかソンタグとか、今だったら小林秀雄全集読破とか)一冊という感じでしょうか。形式から入らないと長続きしないのが私という人間の弱さなのです。が、システムは人間の作るものという春樹先生の箴言も忘れたくないので、ダメだったらさっさと違う方法論に移りたいとも思います。まあ、とりあえず初めは維持に傾注しますけど、オホホ。

海外小説は意外と読んでいなくて、池澤夏樹の河出のかっこいい全集もちょくちょくチェックしてはいるのですが今のところ『巨匠とマルガリータ』しか読んでおらず……クンデラは買っただけ、サガンもほしーいーなー(インテリアとして。ある人曰く『しゃもぢにとって本はファッションの一部だからな!』)。池内版カフカ全集は二巻までしか読んでなくて、あとはカズオイシグロを少々たしなむ程度なのです。このドメスティック指向が! だから大正の私小説作家みたいに貧弱なんだ!(偏見) と、誰かさんから怒られそうですが、あっ、でもドストエフスキーはたいてい読んだぞ。でもわりとそれこそ大正期のドスト氏の受容のされ方。。。みたいな文脈においてかな・・・というわけで、なにが言いたいのかというと、恥ずかしいくらい海外小説のクラシックは読んでいないので、人生も残り少ないことですしそろそろ取りかかろうと思ったり思わなかったり。

いくえみ綾『潔く柔く』人物相関図~10巻

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10巻発売を記念してこれまでの人物関係を整理し直してあります(例によってクリックで最大化します)。いよいよクライマックスですね!! 『いとしのニーナ』三巻も買いました。

いろいろなブログを見ていると、ことこの作家に関しては「いくえみ作品を楽しむ」という言われ方が良くされます。単に娯楽として漫画を読むとか、そういう次元で片付けられない何かががあるのでしょうねえ。

山崎ナオコーラ『ここに消えない会話がある』

本日はメガネを買いに行ってきました。本当はセルフレームがほしかったのですが、かけてもかけても似合うものがなく、けっきょくまたエセ知識人みたいなほっそい金属フレームに落ち着いてしまいました。

メガネはなかなか冒険しづらい分野であります。今回はレンズを若干茶色にしてみました。前回、ブルーをやってみたのですがこれをかけるとどう頑張っても体調のすごく悪そうな人にしか見えなかったので(かえって残業続きの日などには重宝したのですが)今回は違う色に。なんか知りませんがキャンペーン中でカラーレンズがタダでした。眼鏡市場、すごいです。

さて、今日も読書三昧。山崎ナオコーラの新作は一時間で読み終わってしまいましたが、なかなか良かったです。すかすかの文体は健在ですが、もうこれはこういうものとして作者はやっていくのでしょう。〆切に追われて急いで改行しまくった下手くそな散文詩……みたいになりかねないのですが、ぎりぎりで品位を保っているように思います。言いたいこととか表現したいことはすごくすごくわかるので、もう少し書き込んでほしいなあ、とは個人的には思うのですが。ただ、毎回扱うモチーフはとても好きな作家の一人です。こんな風にだらだらとくっちゃべりながら過ごせる会社がいいなあ、明日から実践してみようかなあ、と、思ったりしました。だって人生のうちで会社で過ごす時間って半端ないですよね。その半端なく長い時間をクソつまんなく過ごすのって寂しい限りです。明日からは「消えない会話」を目指して会社生活をつつがなくつつましく過ごしていきたいと思う所存です。

あと、同時並行に読む本の理想的な冊数って誰か知りませんか? 私は最近「30分読書法」なるものを編み出しておりまして、30分ずつローテイトして次々と別の本を読んでいくという読書方法を実践しています。こうすると勘違いして買ってしまった洋書とか酒の勢いで買ってしまった全集とかもいやでも読む羽目になるので読書が進みます。ただローテーションを最大何冊にしたらよいのか指針がつかみ切れておりません。5冊は少ないし、10冊は多いような感覚です。やっぱりラッキーセブンでしょうか。どーでもいい話ですが。

きょうにゃっき

今日は三連休の中日(なかび)ということで、髪を切りに行ってきました。私は基本的になにか用事のある直前まで寝床を離れるということがないので、昨日、戦略的に13時に予約を入れ今日はめでたく12時に起床することが出来ました。放っておいたら夕方まで寝ている体たらくです。

基本的に休日は読書をします。積ん読が10冊を越えそうなのでさすがに気合いを入れて片付けていきます。読まない本は買わないようにしているつもりではあるのですが、やっぱり読まないかもしれないけど欲しい本には手を出してしまいます。とりあえず単価の高いものから片付けていこうと思います。もう文庫は読み差しを無くすのは不可能と判断します。この歳になって岩波文庫アンナカレーニナ全三巻はきついっすよ、10代ならともかく! でも30代になって万が一結婚してたら読もうと思います。源氏物語もちゃんと読もうと思います。小谷野敦のぼやきじゃないけど、家庭小説だの夫婦小説だのは村上ドラゴンばりに今の私にとっては「読めない」作品群だと思いますので、ああ、本当は夏目漱石を心から理解できるような人生を送りたかったのですが……。

やっぱり村上龍は読めない

27年間生きてきて、いまだに一文字も読んだことのなかった有名作家といえば村上龍がありました。このたび、そろそろドラゴンデビューしても良いかと思い、重い腰を上げて読み応えのある代表作を見繕い、『コインロッカーベイビーズ』を読みました(と思って上下巻本を買った矢先に改訂版が出るんだよなあ…)。

しかし、やっぱり肌が合わなかったのです……なんですか、美少女アネモネって、ダチュラって、、、なんというか、ネーミングや出てくるアイテムのいちいちが80年代風(まあそれはしょうがないんだけど)でセンスがなく、中学生の男の子あたりが好きそうな筋書きで、なんでこれが現代文学??? ファ○通文庫かなんかじゃなくて???

──というわけで、正直なところ私にとってはどうしようもなく「読めない」小説の一つとなってしまいました。大まじめに書いてあるんだけどギャグなのかしら? といちいち立ち止まって考えなければならない場面ばかりでした。私はこのブログで紹介する本は基本的には好意的に解釈してきているつもりなのですが、こればっかりは苦手であることを隠せない…。

たぶん、好きな人は好きなのだと思うけれど、そもそも私は自分の思想として「アンチ・マッチョ」を貫いているので、この手の文体、著者の姿勢は基本的に受け付けないのです。あと出てくる女の人がいくらなんでもみんなかわいそすぎます。もう少し何とかならなかったの?

うーむ。。。好き嫌いの別れる作品だと思うし、たぶんこの作品が好きな人とは友達になれない気がする。。。そして私はドラゴンをもう読まないと思う。

ついにつながった『潔く柔く』

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本日もだらだらと過ごした一日でした。けっこうな人が午後休で、いっそのこと私も帰ろうかと思いましたがやっぱり給料がほしいので働くことにしました。おかげでビールを四本もらいました。

いえ、正確にはクールドラフトです。第三のビールってやつでしょうか。突然部長に呼び出され「この段ボールを運んでくれ」と言われ室まで運び込んで配られた中身は写真左側の試供品でした。住友利権?

中にはクールドラフト一缶とコップが二つ入っています。どうしてコップが二つ入っているかというと、他の発泡酒やビールと飲み比べてみろという意図のようです。決して独身者に劣等感を抱かせるためではない、と信じたいところです。タダより高いものはないのでちゃんとアンケートには答えようと思っています。

会社が終わってからツタヤに行ったらいくえみ綾『潔く柔く』の最新刊が売っていたのでさっそく買ってきてビールよりも先に賞味いたしました。やった! ついに二つの物語がつながった……見たことあるバーが出てきたなと思ったら、カンナと禄ちゃんでしたかー。なんとなく似たような過去を引きずっているもの同士ですから、今後の展開も楽しみです。ですが、禄はあんなにひねくれたキャラだったっけ? 働き始めると人間あんなんなっちゃうんですかね。働かないのが一番ですね。以前書いた相関図はそのうちまた一枚物にしてアップロードしたいと思います。

それにしてもカンナの描かれ方はやっぱりすごいと思う。現実にこんな人いたら、私はたぶん遠巻きに見て「なんだアイツ!」って言ってそう。そしてそういう視点が彼女が登場するとふんだんに出てくるでしょ。だから、カンナという存在は読んでいる人が共感するようには出来ていなくて、読者に対してすらバリアを張っているような感じがする。自分の奥底の本当に大事な部分は描かれないし、「見せないよ」と表明してくる。そしてだからこそ逆に読者にとってもカンナと人間対人間のような感じで出会うような仕掛けになってるんじゃないかな。普通の少女漫画だったら、主人公と一体化することを求めてくるし読者もそのつもりで読むものだけどカンナはそういうところがない。なんだコイツ! って思わせてしまうところが、読書体験として他にはないリアルさを感じさせてくれる。

きょうのっき

絶賛社内失業中のしゃもぢです。今日は最近はやりの余力活用で後輩への仕事引き継ぎマニュアルを半日がかりで作っていました。明日はこれを説明するのに半日かけるつもりでいます。どうして追われる時間はあっという間に過ぎ去っていくのに追う時間はこんなにもゆっくりと進むのか。

今日は他にも先々月の残業時間が多いので産業医面談に行ってきました。三回くらい無断すっ飛ばし→あらためてアポ取りを繰り返していたので怒ってるかなと思ったのですが、先生はいつも通りやる気の微塵もないご様子でした。生まれ変わっても産業医にだけはなりたくないです。

今日はちょっと気を遣って六時半ダッシュをしました。日が落ちる前に帰ることの罪悪感も最近ではまったく感じなくなりました。いいことですね。帰ってから食堂でご飯を食べて部屋に戻ってくるとやっぱり一眠りしてしまいます。この前同期に「なんで部屋に戻ってくると眠くなるんだろう?」と聞いたら「鬱病だからだよ!」と返されました。あまり言い返せない自分が悲しかったです。

一眠りしてから読書でもしようと思ったのですが、昨日の夜に見つけた面白いブログを200枚くらい印刷したものがあるのでそれを読むことにしました。赤の他人の日記を読むのがそんなに面白いかと問われれば、こんなに面白いことはないと答えます。ブログのある時代に生まれて良かったと思います。

きょうにょっき

今日からは割とヒマなしゃもぢです。おかげで五時半ダッシュを行った後、おそらくほとんど一番で食堂で夕食を終え部屋に戻ってきて一眠りしたあとヤマダ電機に行くわコンビニで酒を買ってくるわなんてことまでできてしまう。そんなわけで二缶目の十時半です。

あいかわらず「たむらぱん」を通勤の行き帰りにも聞いています。なんでこんなに聞いてしまうんでしょうか。このアーティストは私より二歳も年上なのに言っていることがとにかく前向きです。ポジティブです。私は、「あえての前向きさ」が大好きです。

大事なことまで毎日どんどん消耗して生きてる
まだ夢に溺れたりもしたい…

輪になって 楽しくやって 平凡な感じもするけど
毎日なんだかサクサクやってるここがあたしのへぶん
──たむらぱん「へぶん」

ある年齢を越えるとネガティブなことばっかり言っていることが全然かっこよくなくなってきます。そのかっこ悪さを乗り越えて死ぬまでネガティブなことを言い続ければそれはある意味でまた作家的ではあると思うのですが、けっこうリスキーな選択だったりする思うのです。というか、そういう人って本音の部分ではネアカで、ネクラであることを単に技化してるだけだったりもするので(太宰とか、葛西善蔵とか?)。。。

話を元に戻すと、ほっとけばネクラになってしまうこの時代にひねくれずにまっすぐなことを言い続けるというのはエネルギーのいることだと思うのですよ。単にニブイ人ではこんな芸当はできません。ある意味で意識化してやってる人というのはすごく信頼がおけます。天才というのは時々ついて行けなくなる時がありますから。

どこぞの脳科学者のように挑発的にそういうことを戦略化している人もいますけど、そこまで力入れなくても充分に唯一性を確保できるとは思ったりするんですが。まあとにかく、しばらくはたむらぱんどっぷりつかりそうです。

ちなみに私は以前「明るいネクラ」と言われたことがあります。

ああ、それにしても白鵬負けましたねー。良い取り組みだったと思います。

きょうにっき(ねじ式に)

三連休の後っていうのは元気なものなんですか? フツー、死んでますよね? 私は連休が長いほどリフレッシュという言葉からはほど遠くなります。

この三連休は結局どこにも行かずに「たむらぱん」をヘビロテで聴きまくっていたとか、初日の夜は休日出勤しているところを室長に見つかって駐車場で追いかけられる夢を見てしまったとか、昨日の夜は『人格改造マニュアル』を読みふけっていたとか、こんなところでしか告白できません…。

さて、昼過ぎくらいまで今日は月曜日だとばかり思っていた火曜日も無事に終わり、個人的には今月の業務も一段落。あとは割と流していけば乗り切れそうです。来週の月曜日は休もうと思っているので、今度の三連休こそ無駄に過ごさないようにしたいと思います。職場には今週一週間ブチ抜きで休んでいらっしゃる方もいるので良心のおとがめなく有Qを取れますね! でもたぶん残業が多くて残業代休になっちゃうね、自分!

…話変わりますが今日は会社の帰りにラーメンを食べてきました。あまりにお腹が空いていた上に、そのお店が「チャーハン祭り」を開催中だったのでチャーハンとラーメンのセットを頼んだのですが両方一人前分出てきてさすがの私でも食べきるのに苦労しました。あれは…某デニーズのうどん&ステーキ丼セットに匹敵するヴォリュームを備えております。チャーシュー屋に行く人は気をつけてください。

寮に帰ってくるとポストに先月から定期購読を始めた『経理WOMAN』という雑誌が届いていました。今月の特集は「危機脱出のための『ぎりぎりの銀行折衝ノウハウ』」、です。そんなノウハウ、大阪方面へ異動にならなければ一生使うことはないと思いますが、この前うちの経理出身の方の結婚式の二次会で久しぶりにあった別の先輩に、銀行から五億借りてくる苦労についてとつとつと諭されたので大いに参考にしたいと思います。その方の苦労も今でならもう少し理解できるはずです。その意味でもとても役に立つ雑誌です。購読の紹介すると図書券がもらえるので、このブログをお読みの方で興味のある方はご一報ください。ちなみに市販されておらず定期購読でしか読めません。

それでは風呂入って寝ます。