月別アーカイブ: 2008年7月

おいおい、Book1stが無いじゃないか

ひさーしぶりに渋谷に行ってみたら跡形も無くなっているじゃないか……我が青春の代名詞、Book1st渋谷店が。最近はabcばっかり使っていたので渋谷に行っても逆方面へ行ってしまうのでまったく知らなかったです。しかしまあ、ああ、こうしてまた一つ……。

急に雲行きが怪しくなって、コンビニで傘を買ったのだけどその直後からザアザア降りになってきて、109の交差点の前が一瞬、土曜日に真っ昼間に人がほとんどいなくなった。その中を傘を持つ少ない数の人が立っている。不思議な光景でした。

「大人になる事におびえない」

土日でハチクロのDVDを全巻見て、また頭の中がぐるぐるとさいなまれた。何度読んでも何度見ても、汲み尽くせないものがあるな、この原作には…。

今までは割と森田とはぐという「天才」「才能」のツートップの比較ばかりに目が行っていたがここに来て断然、真山という人物の役割が気になってきた。

普通に就職して、そして最終的に”大人”としての恋愛を成就させているのは真山ただ一人である。コミックでは既に第三巻に山田によって「そうだ彼は/大人になる事に/おびえない」と描写されているが、これが意外と、全巻を通じて彼を形容するにはぴったりの言葉なんじゃないのだろうか。

建築と絵画や他の芸術を同じ俎上で扱うのもおかしいかもしれないが、登場人物の中でもっとも美大(=自分は上手いんじゃないかという思いこみ?=いやそれこそ青春)出身であることと仕事(=現実=経済の循環の中に身を置く事)、とを結びつけられているのは彼だ(山田の陶芸も真山の紹介なかりせばお金にはならなかった?)。そういう意味で、竹本的なマッチョな世界観や山田の恋愛至上主義といった自己完結的である意味閉鎖的な”青春”とは距離を一つ置いている人物なのかもしれない。

しかしなによりも対比として面白いのははぐである。

結局森田との”恋愛”には最後までプライオリティーを与えなかったはぐ。それは森田と画材を買いに行っても「ちっとも楽しくなかった」と言って「大人になる事」を拒否していた。

あの時点で、就職して着々と貯金をしていく真山とはぐとは残酷なまでに距離を置いている。

その距離はさらに広がったのか、あるいは縮まったのか。

第十巻で「私もずっとあなたの事見てる」と森田への恋愛の訣別をすると同時に同志としての信頼を与えるはぐは「大人」になったのだろうか? もちろん恋愛という可能性すら気がついていなかった第三巻からは大きく事情は異なっている。はぐは可能性を認識した上でそれを捨てている。

それはたぶん、大人になることのもう一つの姿ではないのか?

野宮から見て真山がそれでも「青春スーツ」を来ているように見えるのは、青春のまっただ中にあったときにこういうのが大人だと思っている大人を真山が演じているからなのだろうか。それは大人でありながら、大人でない。この表現ははぐの選択にもそのまま当てはまる。

彼らはそれぞれちがった方法で「大人」になろうとしている。そんな風にも見えてくる。「そうだ彼は/大人になる事に/おびえない」と感じる山田は、同時にはぐに対しては「世界が違うんだ」とも。同じ世界の中で真山は大人になっていく。理解が出来る、というのは同じ価値観の中にあるから出来ることなのか(それはちょっと残念な結論だ)。

そして成長という時間軸を超越している森田は彼らの世界を出ては入り、入りは出ることが出来る。山田に対しては「おまえ恋してんだな」と新鮮な驚きをおぼえ竹本に対しては「自分を探す必要がなぜあるんだ?」と無理解を示す。同じ価値観を共有できない替わりに森田は闖入を繰り返す。異なる世界観の間を自由に飛び回ることが出来る。

真山が野宮を「完成形」と言うのは、彼なりの葛藤だろう。野宮もまた森田と同じように複数の世界観の間を飛び回ることが出来る、といったら言い過ぎだろうか。少なくとも彼は自分のいるところがone of themであることは理解している。そこが森田との差異だろう。経験とそれに裏打ちされた理解という能力があるからこそなのかもしれない。であれば、真山はいつかそこから抜け出すことは出来なくとも認識を得るかもしれない。リカとの恋愛は確実に彼に経験値を与えている。

DVDは原作を忠実にアニメーション化しているのでほとんど朗読テープのような感覚で聞き流せます。原作を読んでいるだけでは気づかなかった小さなつぶやきも等価に音声化されているのでまだまだ新しい発見がありそうです。