森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』

夜は短し歩けよ乙女
夜は短し歩けよ乙女
森見 登美彦

を、読みました。

ところで今週は残業圧縮ウィークということで、朝十時出社の午後三時退社の毎日となっています(ただし建前)。んなわけで、平日なのに一冊本を読み終えることができました。

現代男性作家の小説はどれがおもしろいのか全くわからず割と読まず嫌いしていたのですが、これは抜群におもしろかったです。amazonのレビューを見ていると、その文体、と言うか語り口に入り込めれば面白い、という条件付きの評価が多かったのですが、むしろこれは割とテクニックとしては王道の文体であって、慣れるも慣れないもないと思います。

物語は主人公の京大生と、彼が恋する不思議ちゃんの女の子と、二人の独白体が交互に展開されていきます。非現実的な脇役ががっちりと世界観を隙なく支えていて、単なるおもしろおかしい恋愛譚で終わっていないところがいい。

特にこれは京大界隈の地名も頻出する小説なので地元の人が読んだらもっといろいろ「ああ、あそこでこんなことが」と空想をふくらませられるのでしょう。けれど京都の地名というのは非常にイメージを惹起するものが多く、作者としてもむしろその効果をねらっているんではないでしょうか。

古書をめぐるくだりはどれも楽しく読むことができた。本好きな人が読むとますます本が好きになるような第二話がお薦めです。


サイトデザインを更新しました

ロリポのテンプレートというのが異常に少なくて、ユーザは一体どうしているんだろうと思っていたらJUGEMのを借用している人が多いようなんですね。せっかくのレンタルサーバなのにMTとかWordPressを使いこなす自信は私にはありませんので、ユーザ作成によるテンプレをもってきてちょこちょこいじってみました。

ただ一部タグがロリポと互換性が無くて使えなかったりするので、たとえばカレンダーなんかは今回あきらめました。あとさー、marginとpaddingが逆になってたよ、一カ所。一時間くらい悩んでしまった。

とりあえず一旦は自分の意図するカタチになったのでしばらくはこれで行こうと思います。夏っぽいでしょ。

opera,firefoxではチェックしましたが見え方がヘンだよーとかあったらこっそり教えてください。


【小説】ノブレス・オブリージュ〈第一章〉

     ──すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される(ルカによる福音書)

     一

 いつかこの景色を描いて世の中の人々に伝えたい、と熊谷江利子思った。
 卒業式の朝、彼女は学校の屋上にいた。まだ肌寒い春の風が彼女の長い髪を白い首に絡ませる。昨夜の雨で濡れたコンクリートが灰色のまだら模様を作っている。乾ききっていない浅い水たまりには空の青が映っている。その上を、江利子は赤い上履きでわざとらしく踏みつける。
 髪の毛を手で押さえながらゆっくりと突端の手すりまで歩いていく。あまり端の方まで行きすぎると、校庭でいまごろ紅白の横断幕を広げたり畳んだりしている要領の悪い阿部先生なんかに見つかってしまうな、と思いながらも彼女は常にそうしていたように、自分の背の高さの二倍もあろうかと思われる柵に両手でぶら下がる。金属の冷たい手触りが掌の内側に冷たく気持ちいい。体は熱い。彼女はそのまま顔を上げた。
 今、一番空に近い。
 江利子は高校三年の夏になってもいっこうに受験勉強というものをしていなかった。ましてや就職のことなど相談する相手に困るどころか、就職する必要なんてまだないと思っていた。迷っていた、というのはそういう自分の考えがあまりに周りの友達と違っていて誰にもわかってもらえなかったがために自信を持てなかった、ということだ。迷っている自分に自信を持つ、というのも変な話かもしれない。それが当たり前ででもあるかのように専門学校のパンフレットや分厚い大学案内、あるいは地元工場の、人の想像力を微塵だに刺激することのない求人案内──そういうものが教室のそこここに見え始めたとき、江利子は吐き気を催した。遅い生理のようだった。

 足を地面から放したまま上を見上げると、青空と、そして視界のずっと上の方にポールにはためく校旗がぱたぱたと音を立てながらひらめいているのが見えた。前髪は背中へ吹かれている。目が乾いてくる。こことも今日でお別れだ。そして夜にはこの街ともお別れだ。そう思って目をつぶる。遠くの空港から北へ飛び立つ飛行機の音が低く響いてくる。学校の周りを囲む杉林からかすかな花粉の匂いがただよってくる。おぼえておこう、灰色の制服に染みついたこの土地の色や音や匂いや光を。
 次に目を開けたとき、ポールの下からするすると日章旗が上がってくるのが目に入ってきた。まずい、人がいると思って柵から手を放して着地すると頭の上から声が聞こえた。
「おや、今日卒業式の生徒さんかい?」
 見れば、箱形の給水塔の上で用務員がするするとロープに手を上下させて旗を揚げている。
「コッカケイヨウの練習ですか?」
「国歌は斉唱、国旗は掲揚、ね。まあ、一年で一度の、私にとっても晴れ舞台だから」
 男は目を細めながら風にばたばたと音をさせながらはためいている大きな日章旗を見上げる。江利子もタンクの近くへ行くと、二つの旗を見上げた。
「卒業したらどうするね?」
「卒業したら?」
「ああ。大学か? それとも就職か?」
「どっちでもないかな」
「ええ?」
 男は信じられない、という声を上げる。
「それじゃ、おじさん。三年間、どうもありがとうございました。この学校のことは忘れないし、いつかそのことをおじさんも知ってくれる日が来るのを私は信じてる」
 江利子はそれだけ言い残すと、ぽかんとしている用務員を置いてさっさと校舎の中へと戻っていった。ばたん、と屋上の扉は風にあおられて強い音を立てた。
 階段を下りていくと、なじみの匂いが……と思えば踊り場でちょうど上へ上がってきた本田教諭と江利子は出会った。本田教諭は四十歳を少し越えた美術の教師で、いつでも油絵の具の匂いのする白衣──それも「白衣」と呼べるほど白くはなく、様々な色が飛び散っている代物だったが──を着て歩き回っていた。
「あら、熊谷さん。屋上にでも行っていたの? 卒業式の日に停学なんて聞いたことないわよ?」
「煙草なんて吸ってません!」
「アッハハ。それならいいけど。この学校の生徒だけはそういうことしないと私は信じてるからね」
「今時の高校生なんて学校で隠れてなんて吸いませんよ。駅でぷかぷかやってるの、見たことありません?」
「そうなの? 駅の方は私あまり行かないから見たことないけど」
「いや、こんな田舎の駅じゃなくて」
「知ってる? しういうのを見ると、教師って通報する義務があるらしいのよ。学校の中ならともかくねえ。なるべく見ないようにしているわ」
「だめ教師……」
 そんなことを言い合いながら二人は笑った。
「でも本当に、ありがとうございました」
「いいえ。私の方こそ、いろんなことにけしかけてしまったかもしれないわね」
「そんなこと、ありません。おかげで、進路も決めたし」
「進路? そういえば、熊谷さんって卒業したらどうするつもりなのか私、全然知らないわ」
「へへっ」
 江利子は舌を出すとだだだっと脱兎のごとく階段を駆け下りていく。
「熊谷さん!」
 階段の下まで降りると江利子は振り仰いで踊り場の本田を見上げる。天井近い窓から差し込む朝の光が本田の姿を真っ黒にしている。
「式が終わったら美術室まで来てくれる? あなたの作品、たくさん置きっぱなしだから」
「わかりました」
 江利子は軽く手を振り上げると、教室へそのまま走っていった。午前七時四十分。校舎はひっそり閑としている。足音を廊下中に響かせながら三年三組の教室にまでたどり着くと、その重い入り口の扉を開ける。電気がついておらず、朝日だけでちょっとだけ薄暗い教室。窓際の自分の席まで行くと、江利子は机の上にカバンを置く。そして大きな窓を開けた。
 ──卒業したらどうするの?
 みんなが私にそう聞いて来る。
 最後の夏休み、江利子はなにもしていなかった。ただ毎日きちんと制服を着て、お弁当を作って、学校の屋上に来ていた。彼女の横にはいつだって真っ白なスケッチブックが開きっぱなしになっていた。
 私には描くべきアクシデントもハプニングもなく、ただただ動かないリンゴやら花瓶やら会ったこともない古代ギリシャ人の石膏像をひたすら描いていた。それはただの形でしかなかった。江利子にはそれでは、足りなすぎた。正直に言えば、画は描けたのだ。描けと言われれば何でもそこそこ上手に描くことが彼女には出来ていた。
 そして、彼女は更級の少女のように物語を欲した。
 東京に行けばストーリーがごろごろ転がっていて、道を歩いているだけで自分の身にも降りかかってくるような気がしていた。あるいは、そう思うことでテーマもメッセージもない、ただの絵、純粋な絵、それを描き続けることの無意味さに抗っていた。
 考えることに疲れると、江利子は屋上でぼんやりと白紙を眺めたものだ。白紙は彼女にとって恐怖ではなかった。白紙は彼女にとって埋めるべきなにかではなかった。ときどき強い湿った風がふいて、そのページをバラバラとめくっていく。……

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土地の記憶

 第一回 渋谷

 渋谷には二重の記憶が混在する。

 一つめは子どもの頃、父親に連れられてよく行った「こどもの城」界隈だ。立川に実家のあった私が小学校時代よく遊びに連れて行ってもらったのは青梅鉄道公園か西武遊園地か、こどもの城である。この三つのローテーションが毎週日曜日に繰り返された。

 最寄り駅がJRではなく西武線だったため、西武新宿線で高田馬場まで行きそこから山手線で渋谷まで出るというのがルートだったと思う。当時の駅舎がおそらく工事中だったためかと思うが、高田馬場での乗り換えがすごく薄暗い通路を人にもみくちゃにされながら必死だったのを憶えている。

 渋谷駅から東急方面の出口を出て屋根のついた通路を宮益坂の交差点まで歩いていく。あのちょっと薄暗いところから開けた横断歩道に抜けるところが好きだった(今でも好きだ)。

 青山通りに向かって坂を十五分ばかり登っていくと、こどもの城がある。その名称を知らなくても青山円形劇場と聞けばすぐにわかるかもしれない。国連大学のすぐ隣である。岡本太郎の「太陽の塔」のようなオブジェが入り口にあり、白い石畳の光を受けてそびえ立つそれを見とわくわくしたものだ。

 この施設では入館料を払えば各階の催しに好きなだけ参加することができ、私は当時好きだったウルトラマンのビデオを何本も立て続けに見たり、工作やトランポリンなどに興じていた。一人っ子でも充分に楽しめる施設である。あまり他の家族と混じって何かをするというような催しは、あったのかもしれないがほとんど参加しなかったのかもしれない。各階に音楽やコンピュータなどいろいろとバリエーションはあったのだが、私はあまり興味のそそられないブースは一見しただけでそのあと一度も足を運ばない子どもだった。たいていはビデオを見ているか紙工作をしているかだった。

 お昼になると、館内のレストランで食事をすることもあったがときどき外に食べにも行った。よく行ったのは店名も何も憶えていないのだがお好み焼き屋で、私は初めてそこでうどんを入れたお好み焼き──広島焼きというものを食べた。家のホットプレートで焼くお好み焼きはいつでもなにもかもごちゃ混ぜにした平べったいものだったので、初めてそれを見たときの、その高さにまず驚いた。子どもの口にはあまりにもボリュームがあって、全部食べられなかったのを憶えている。狭い店内で見知らぬ大人達と席を詰め合いながら熱いそれを口に運んだ。あの店以外の場所で、たとえば同じ渋谷のパスタ館なんかで広島焼きを食べることはない(そもそもメニューにないのかもしれない)。私の目にする機会が少ないのはなぜだかわからないが、それもあって広島焼きというとあの頃のことを思い出す。後年、大学生になってからそういえばと思ってお店を探してみたのだが見つからなかった。今でもあるのだろうか?

 ついでに思い出したのだが、こどもの城の帰り道にすぐ通りの反対側にある青山学院大学の中を散歩したこともある。遠くに見える赤煉瓦の建物を見ながら、父親がサザンオールスターズのことを何か言っていたように思う。鼻歌すら歌っていたと思う。そういう父親の姿は家ではまずお目にかかれぬものだった。木々の緑色と校舎のレンガの赤のコントラストが今でも脳裏に焼き付いている。しかしこれも記憶のおもしろいもので、青学にそもそも赤煉瓦の建物なんてあったのだろうか? 確かに私はレンガ調の赤い色を記憶しているのだが、これもまた後年、青学の学園祭に行ったときにそんな建物は一つも目にしなかった。

 帰り道といえば、ちょうど青山通りから宮益坂に分岐するところにおそらくは金取引をなりわいにしている会社のオフィスがあって、一階の通りに面したところにショーケースがあった。そこにレプリカの金の延べ棒が飾ってあって、それを外から眺めるのも好きだった。そんな子どもをどんな気持ちで父親が眺めていたかはわからないが、ただあのレプリカとはいえ金色の光沢と、表面にみなぎるふっくらとした張力が子どもの目には新鮮だったのだろう。このショーケースは今もあるのだが、レプリカは目にすることができない。

 渋谷についての最初の記憶はこんなところだ。いずれにせよ今でも確実に記憶をつないでくれているのはこどもの城だけで、後にも述べるが渋谷の街は近年どんどん建て替えが進んでいて、新しいものができあがると元にあった古いものにまつわる出来事が、それを思い出すすべを失ってなにか地霊のようにさ迷い出しそうだ。ある小説家も書いているが、記憶というのは決して個人の頭の中に全部収まっていて出したりしまったりすることが自由なものではなくて、土地や建物や空気にただよっているなにかとある瞬間交信したときに立ち現れるものだ。キーを失った引き出しは容易には開いてくれない。そのことは確かに、寂しい。

 渋谷が私の記憶に再び登場するのは大学に入ってからである。十年とまでは行かなくともそれくらいのインターバルがある。しかし大学生だった私にとっての渋谷とは青山通り沿いのハイソなそれではなく、全く逆方面のセンター街を中心とした飲み屋街である。それもそのはずで、大学一、二年を過ごした駒場からは山手通りを渡って松濤の高級住宅街を通り、Bunkamuraの前まで容易に出られたからだ。そこからセンター街のお尻まではすぐ目と鼻の先である。

 サークルやクラスメイトとの飲み会といえばたいてい渋谷だった。たまに女の子とデートするのも渋谷が多かったかもしれない。そういう意味で、もっとも不幸でありながらもっとも幸福であった時代の象徴として渋谷はある。

 元来散歩が好きな私は一人でも良く出かけた。授業が終わってから松濤の江川達也の豪邸、かつて三島由紀夫が住んでいた一画なんかを見ながら鍋島公園の横を通る。もともと戦後に米軍が軍人の居住地として接収した土地柄か、白人の親子が水遊びをしている姿を良く目にした。人通りも少なく、夏などにうっすら汗をかきながら蝉の声を聞き坂を下っていくのはなかなかに替えられない体験だ。そして、真っ昼間から円山町方面へ出入りするカップルを横目に見ながら東急文化村の裏手に出て、ブックファーストへ向かう。

 そのルートを歩くこともあれば山手通りから観世能楽堂をぐるりと回ってそのまま放送センターまで抜け、NHKの書店をひやかしながら東急ハンズまで戻ってくる、なんてルートもよく歩いた。こちらのほうは前半はずっと坂の上にいて、ハンズに向かうところで一気に坂を下る感じである。渋谷の起伏のある土地を歩くのは、都心の真っ平らなアスファルトをひたすら歩くよりもずっと楽しいものである。

 やはりここでは書店について触れられずにはいられない。何が楽しくて渋谷に行くのかと言えば大型書店の存在である。と言っても、私が通っていたのは大盛堂かブックファーストだった。そしてそのどちらも、今はない。

 アルバイト代の振込先が三和銀行だった私はまず明治通り沿いにあった渋谷支店でお金を下ろし(ここから述べるのはJR渋谷駅を起点としている。大学から渋谷に行く場合はこれと逆のルートになる)、大盛堂を見て回った後にタワーレコードに行き、また西武まで戻ってくるとロフトの文具売り場を物色し飽きずにHMVを見て回り、センター街から頃合いを見計らって道玄坂に出てブックファーストを下から全階見て回る。それが終わるとなにかこう、渋谷にまで来てやるべきことは全てやりきった気分になった。

 大盛堂は特に買い物をそれほどしたおぼえはないのだが書棚を見ているだけで楽しい本屋だった。ちょっと薄暗くてなんだかさびれた感じはするのだけど、品揃えは豊富で、売れる同じ本を五冊置いておくよりもいつ売れるかわからない専門書を一冊ずつ置いておく、みたいな感じが店の前の横断歩道の喧噪から確実に何か世界を異にする感じがあった。雰囲気を楽しみにだけ通っていたのかもしれない。

 ブックファーストは逆に規模を全面に出していて、現代作家の新刊なんかは貪欲に取りそろえていたと思う。逆に人文関係は弱くて、国文学となるともう棚一つだけですか、それも来るたびに「えんぴつで奥の細道」とかに浸食されているんですけど、と一人心の中で悪態をついていた。まあ、求める方が無理なのかもしれないのだけれど。

 この二書店が無くなった今、渋谷と言えば青山ブックセンターを利用している。HMVの最上階にもあるのだが、やはり本店にまで足を伸ばす。こどもの城とは反対側に国連大学と隣接しているABCまでの道のりは、かつて子ども時代の私が父親と何度も歩いた道である。だから本当の意味で渋谷における幼少期の記憶が舞い戻ってきたのはつい最近で、大学生だった頃の私はついぞこどもの城なんてものを思い出すことはなかった。だからこそ、土地の記憶というのはもう一度その土地に足を運んでみなければ容易に立ち現れてこない。

 東急文化会館が取り壊されたときも痛みのような感覚を味わった。やはり子どもの頃あの映画館で何かを見たおぼえがあるし、大学に入ってから初めて女の子と映画を見たのも文化会館だった。何も感傷に浸ることが目的のこの文章ではないのだが、建物が壊されるというのはいろいろなものまで引きずって無くなってしまうということなのだ。そしてそこで起こった出来事を思い出すことすらなく、まるで初めから無かったかのようになってしまうことの怖さが、私にこの文章を書かせているのかもしれない。

***********

といったような文章を都内のいろいろな土地について書き連ねていこうかと思ったのですが、

っていうか完全に坪内祐三の近著『東京』に影響されまくりでやってみようかなと思ったのですが、

正直そこまで語ることのできる場所があと立川(区外だし)と横浜(都内じゃないし)と新宿くらいしかない上にたいていあの本屋に通っていたとか、あっち系のもう小説の題材としてしゃぶり尽くしたような話とかしか出てきそうにないのでこの企画とりやめ。

もう三十年くらい生きてからでないと書けないんだろうな、ちゃんとは。


風邪なんかひいてたまるかっての

体調がすぐれなくてなんとなくイライラした一日だった。感情の上澄みって言うか、バッファみたいなものがまったくなくてなんか人に対して包み隠さない言い方をしてしまった場面がいくつか。なんか、こういうのはよくない。

一つの仕事に対する細やかさみたいなものがぼくはかなり低いレベルなので、人に対してはすごく気を使うのだけど数字に対しては大体でいいじゃん的な立場なのです。それが逆の人と同じ仕事をするのはけっこうしんどい。まあ、本当はそうしないとトータルのバランスが悪くなるんだろうけど、今日ばっかりはダメだった。

少し体調が戻ってきたので明日はがんばろう。
あと一日。でも全力で一日。


備忘録~来週を乗り切るために

・自分に適度のプライドを持つこと
・焦らないこと
・ゆっくりしゃべること
・感情的にならないこと
・夜でこそ論理的に考えること
・煙草を吸いすぎないこと
・日常であることを意識すること
・パフォーマンスに堕さないこと
・ゆっくり話を聞くこと
・相手のペースにあわせないこと
・疲れたら眠ること
・朝は早く起きること
・助けられることにおびえないこと
・自分以外の何かになろうとしないこと
・自分の考えていることを冷静に見ること
・一人称に自信を持つこと
・姿勢を良くすること
・時間を守ること
・決めたルールを曲げないこと
・一度にいくつもの事をしないこと
・良く噛んで食べること
・行動に区切りをつけること
・感情に区切りをつけること
・型にはまりこまないこと
・よく水を飲むこと
・ゆっくり歩くこと!


無題

ぼく自身から遠ざかっていくものを、数え上げていく、どうしようもなく見送っている、手を伸ばして放すまいとしている、あるいは気づかずにいる。

午後の光が満ちた、坂道。そのイメージは惑乱する。惑わせ、乱す。あったかもしれない現実をかすめ取る瞬間、もちろん、ぼく一人だけなのだが。

この先に何があるのだろう。いや、それをぼくは知っている。点と点をつなぐ。線ではなく面でありたい。東京という街は点と点を結んだとき、はじめてその姿を現す。ぼくが、同じところをぐるぐると回っていたということを教えてくれる。

ぼく自身から遠ざかっていくのは、ぼくの後ろに広がる眺望。そうだ、ぼくは振り返ったことはない。後ろ向きに前に進むだけだ。

温度。音。湿度。汗の球が浮いた肌の表面をくすぐる生暖かい風。それはとどまっている。いつでもぼくを迎えてくれる、ように、錯覚している。錯覚は好きだ、なによりも。

同じ木陰。同じ高さの空。同じ足音。

日が暮れる前に逃げよう。それは瞬間だ。瞬間という点。

時間をたっぷりと含んで押し黙っている本棚の住人達。手をさしのべる。紙に印字された活字達はいつまでも同じ姿でとどまっている。変わったのはぼくの方だ。ぼく自身がぼく自身から遠ざかっていく。それは時間という液体の中で窒息していることを思い出させることなく、殺める。死に体、のまま、泳ぎ続ける。身体だけはおぼえているらしい。でも、歩き疲れた足は三日たってもぱんぱんにふくれあがって悲鳴を上げている。それが、年齢を重ねるということか。もう一度言おう、ぼく自身がぼく自身から遠ざかっていく。

変わりたくない、忘れたくない、ということがどれほど人に速度を思い出させるか。洪水のような速度。同じ時速で隣人を見ている限り、ぼくは速度を忘れる。もう、そうしてはいられない。

という意識が、溝を深める。ぼくとぼくとの間に横たわる溝。坂道という面では越えられない。そこにはもう一つの次元が必要だ。だがその力は今のぼくにはなさそうなのだ。