月別アーカイブ: 2008年5月

「デザイナーは手沢を超えられない」

五月に入った。急に暖かい。作業着の下もティーシャツ一枚で充分だ。お昼休みに食事が終わるといつも外の空気を吸いに出るのだけど、外気が心地よくて最近は早く食べ終わって外に出たい気持ちになる。

昨日のプロフェッショナルの感想、というか感じたことなんだけど茂木氏の使っているmac bookの手沢がすごかった。かなり使い込まれている。

デザイナーは手沢を超えられない。〈中略〉手が触れられなくなったことによって、何かがなくなってしまったのだ。自己が汚れなく謙虚に道具に徹するという意気、技能の卓越さをもって自己の存在を消す努力の跡、完璧を試みて達成できなかった悲哀のような、思いの痕跡が消えてしまったのだ。機械で完璧に直線が引けるようになったことによって消えてしまったかすかな熱。都会が冷えきってしまっているのだ。
──深澤直人『デザインの輪郭』(TOTO出版,2005)

前にも引用したかもしれない深澤直人の記述はどうも心に引っかかってなかなか消えてくれない。道具へのフェティシズムは愚かかもしれないのだけど、それを使うという行動の持つ歴史性というか。あなたがそれによって何かを成し遂げた努力の時間がダイレクトに摩耗という表現を持つことがとてつもなくすばらしいと思う。

いつまでもぴかぴかに磨いた車もいいのだけれど、たとえば街でたまにすれ違う営業用のステーションワゴン。白い塗装の所々へこんでいたり錆が出てきていたりタイヤの周りはドロドロだったり、車内も散らかし放題で腕をまくり上げた営業マンが煙草を吹かしている──そういうのもすごくかっこよく見えてくる。

デニムもよくデザインとしてわざとすり切らしたりする加工を施すけれど(あれほんとに最終工程でギザギザのついたロールにこすりつけるのね! テレビでやってた)、それはどこまで行っても記号性でしかなくて、本物の手沢というのはできあがるまでに本当に時間のかかるもの。それは何かを表すものなのではなくて、それ自体が何かなのです。

その時間すら惜しむ現代社会の風潮(っていうか最近のうちの会社の話だけどさっ)は確かに冷えきっているよな。

ってなことを横道にそれたけど感じた。