月別アーカイブ: 2008年4月

ポスト齋藤孝としての茂木健一郎

予算が終わってあまりにやる気がなくなっているので何とかしたい。六時に帰ってこられるのはいいんだけど、そのあとの過ごし方がなかなか……とか思っているうちにまた忙しくなっちゃうんだよな! 昨日とか洗濯してしまったし。今日は「サッド・ヴァケイション」(映画ね)を見て、プロフェッショナル~仕事の流儀~の脳特集を見て、風呂に入って、今に至る。

茂木健一郎は最近ようやく、ほぼすべての著書を読み終わりました。周期的にこういうタイプのインテリが歓迎される社会地盤があるのでしょうが、個人的にもマイブームだったりするので。養老さんから一世代まわったんだなあ…(『バカの壁』っていまだに読んでいない)。

ポスト齋藤孝という見方をあえてすれば氏が体育会系のノリに国語教育をパラダイムシフトさせたあとで、もう一度「頭の良さ」みたいなところに揺り戻しているというか。脳は、まあ、ぼくが言うようなことでもないのですが、身体性も司っているわけで、その点で体を使うというのは頭のいいことなんだ、みたいな点を説得的に展開している点がけっこう受けているんじゃないか。

終わったのである。

予算の一連業務が金曜日でとりあえず決着した。

三時まで飲んで夕方四時まで寝てしまった。

そういえば昨日は尾崎豊の命日だったんですね。白いシャツにジーパンはいてやってきた先輩よ、げらげら笑ってすいませんでした!

備忘

イメージを言葉にするんじゃなくて

言葉にしなければイメージなんてものはないんだ

だからとにかく

書かなければ前に進まない

書かれたものしか

開かれたものとして

存在し得ない

ここんとこの正直な感想

とりあえず今、大きな担当が二つあるんだがその二つは本来は担当二人が一つずつやってもいいような内容で、どうしても優先順位がつかないもの。仮にそれをAとBとする。

日々の業務の中でどっちかがどうしても片手間になってしまうときがある。

明日までにAをやらなくちゃいけないのだがBの仕事でもいろいろと頼まれていることがある。それがたとえば明後日までにやってくれと言われていたりしても、できれば早めに回答をしたい。

それはぼくに仕事を頼んでくれる人が(他部の部長さんなんだけど)ぼくのことを教育したいとか気にかけてくれているとか信用してくれているとか──別に買いかぶりではないのだけど、そういう気持ちでもってたとえば会議に呼んでくれたりしてくれるので、自分としても一生懸命調べることで応えていきたいと思っている。

でも今日もAにばかり時間を割かれ、なかなかBができない。かといって別にAをやりたくないとかAが邪魔だとか言っているわけでは決してなくて、決してそうではなくて、Aの方もいろいろ相手先の部署の担当替えとかがあって、なるべく力になれることは力になりたいし、ここ半年つきあってきた歴史もあるし、なにより中途半端にやっているわけではないということは明確に打ち出したい。

今日はまさにそういう感じだった。

まあ、具体的なあれこれは書くようなことでもないんだど、でもやっぱり時間の限界と体力の限界と自分の能力の限界を感じる。

具体的な失敗があって責められているわけではないのだけど、余裕がない状態というのは知らないうちに人を傷つけてしまっているかもしれないなと、ときどき思ってしまう。

しんどいなあ

今週は毎日、日が変わってからの帰宅になりそうです…。それでもようやく目途がついてきました。今週がんばればなんとかなる…と、信じたい。がんばるったって、思考停止してただひたすら数字をパソコンに打ちまくるだけですけどねー。

まあ、いろいろ不平不満などあるのですが言っても仕方がないので封印。これだけは言っておく! とかやってみたいけどもうなんか驚きあきれるばかりの場面も多いので、もういいです。

ウイダーインゼリーを36個買った。明日からちゃんと朝食食べる予定。

次回作の構想など

正午起床。部屋の片付けをする。机の位置を少し変える。

狭い部屋ながら机からすべての本棚を見渡せ、かつ取り出しが可能な絶妙な配置となった。しかも机に座っているときはテレビが見えないが、ベッドに横になるとテレビが見える、という絶妙な配置にもなった。なかなか出来そうで出来ない相談である。

次回作の構想を練る。

いつもスケッチブックに思いついたエピソードやら人間関係やらをマジックで書いていくのだが、原稿用紙で言えば50枚分くらいまで考えが及ぶ。今年の正月くらいに考えていたストーリーと、新しく考えついたストーリーとを上手く組み合わせれば面白い話になりそうな予感がする。

「グレート・ギャッツビー」に範を取りながら、金持ち一族の悲哀と、文学作品が商品化される悲哀と、人はパンのみにて生くるにあらずの悲哀と……そんなことをテーマにするつもり。基本的にはノブレス・オブリージュみたいなことです。

お金については社会人になってから、いつかは書いてみたいと思っていたテーマでもあります。その点、夏目漱石の小説──たとえば『三四郎』における金銭の扱われ方とか、とてもじゃないが及ばないが参考にしたい。

画になる

昨日は一時帰宅で、毎週金曜日は楽しみにしている「モヤモヤさま~ず」を見てから三時就寝。今日はやっぱり、というか三時起床。起きたら体の節々が痛い。頭もぼんやりする。本を読んでも全然頭に入ってこない。

しかたなく熱さまシートをはっつけてバファリンを嚥下。しばらくすると通常の状態に戻ってきたので本屋に行って茂木健一郎を一冊と「文藝」の夏号を買ってくる。最近、川上未映子の文芸誌登場頻度がすごい。でも紀伊国屋のwebインタビューとか見ていると、顔と声がだいぶ印象違う。いずれにせよ画になる作家、というのはいいもんだなあ。

という平凡な感想で終わりそうな土曜日。
回る洗濯機。

ひとりごと

年度末のためなのか今月はやたらと会議日程が早い。ちがうっての、年度末だからいつもよりまとめるのに時間がかかるんだからいつもより遅くしてよ! と言いたいところだが、まあ仕方がない。でも月曜日の資料がまだ出来ない。バックデータもまだ出来てない。明日、何とかしなくては。。。

とか何とか言って忙しいフリをしていると、本当に応えなくちゃならない人に対して待ってもらってしまったりするのが心苦しい。正直言って室内のあれやこれやなんてどうでもいい。この室がなんとか周りと協調していくために、ということを考えると、やっぱりどこか優先順位が狂っていると感じてしまう瞬間はある。その仕事、自己満足になっていませんか!? と、声を大にして言いたいことは山ほどある。間接部門ならなおさら。私はメーカーに勤めているのだよ、メーカーに。

ワーカーズハイ、さりとて

「マラソンなどで長時間走り続けると気分が高揚してくる作用」(wikipedia)をランナーズハイと言うらしいが、仕事もそんなところがある。ワーカーズハイと言うべきか。

しかしこれがまたハイになるまでの時間がなかなか長い。一日を46.195Kmにたとえるならば40Km地点あたりからハイになってくる。そうなるととにかく椅子に座り続けていても腰の痛みに気がつかず、煙草もジュースも要らないのである。

けれど体は正直なもので、家に帰って来るとぐったりする。目はしょぼしょぼし、首筋は痛いし、頭もぼんやりとしてこうして文章を書いていてももうなんか二言目には「だるい」の言葉が出かかってくる。

酒でも飲みたいところだが翌日に残りやすい体質なので、明日もあれとあれとあれを片付けなくちゃいけないと思うとなかなかどうも。

まあしかし、なにが疲れるって気を使うのが疲れるっての。大本営発表だけで、個々人のリゾーム的コミュニケーションが決定的に不足している現状はなんとかならんのか。