月別アーカイブ: 2008年1月

よく生きるためのヒント(対人編)

大げさに驚いてみせる
「あっ、それ知らなかった」ととりあえず負けを認める
「あっ、ほんとに!?」ととりあえず相手を是とする
「あっ、そうなんだ」ととりあえず相手を認める
とりあえず全部オモテだ
でもなんとなくおかまキャラだ
「あのー」が1オクターブ高い
自分につっこみを入れる(声を出して)
要は自分を茶化せる
返事がでかい
電話の声がでかい
表情筋をよく使っている
最初からいるときはとことんまで参加する
でも時々あっさり途中退席する
実はあんまり自分からは誘わない方だ
とりあえず共感する
行動にはよどみがない
行動には迷いがない
久しぶりなら久しぶりと言う
新しもの好きだ
古いもの好きだ
要は自分の感覚にとって新鮮なものに敏感に反応する

ああもう!

実務を知らない上司は鶴の一声とやらで振り出しに戻し、
実務を知っている上司は小手先の方便を認めない。

さてさて、今度はどっちに転ぶのやら・・・。
事務系の存在意義ってそういうものなの?

よく生きるためのヒント(備忘)

丁寧に暮らす
普段使う物にお金をかける
急がない
焦らない
急かさない
とりあえずやってみる
だめだったら「これ、だめだなあ」と照れ笑いする
即断しない
「どうなのかなあ」と、一呼吸おいて考える
よく見る
よく読む
よく書く
よく笑う
そして、その結果としての価値判断に自信を持つ
たしなみ程度の煙草
決まった時間に起きる
音楽やテレビに没頭しない
映画や小説に没頭する
気に入ったものは何度も読み返す、見返す
「どうなのかなあ、これ」という批判的見地を忘れない
「もうちょっとこうだったらいいのになあ」という視点も忘れない
コーヒーをよく飲む
習慣を守る
仕事に行く前の朝時間を楽しむ
眠くてもとりあえず顔を洗う
悲観しすぎない
楽観しすぎない
今の生活が生涯最後の形態だったとしても後悔のないような工夫をする
一つのことにきちんとかけるべき時間をかける
自分がなにを考えているのかをきちんと伝える

片岡球子さん逝去

日本画はほとんどわからない僕ですが、唯一好きな画家であった片岡球子さんが亡くなったということです。

赤富士とか面構えシリーズとか、後期の歴史物、能役者の絵など大胆な構成と色遣いで独特な世界観がありました。水戸の近代美術館で大規模な企画展を見てから知ったのですが、それ以来気をつけてみると結構カレンダーが出ていたり他の美術館でも作品を目にしたことを思い出します。

googleのイメージ検索だとこんな感じ。

ご冥福をお祈りいたします。

この休みに読んだ2冊

元リクルートを肩書きに持つ人の本はいろいろ読んできましたが、この本は一番よかったかな。やっぱり大和書房のエッセイにははずれがありません、ホントに。

年末にあった他でもないリクルートによる三年目社員研修の時に味わったどうしようもない違和感を余すところなく言語化してくれています。

いまの若者が就職を重たく考えすぎるのは、キャリア教育の影響だと思いますよ。今は仕事によって自己実現を果たすことが重要だって学校ですり込まれていますからね。単調な、自分を活かせない仕事を押しつけられると不安になるんだと思います。

著者の言葉ではありませんが、著者が大いに共感を持ったとする意見の引用です。いつからこの自己実現仕事観がはびこったのか(フリーター黎明期か?)知りませんが、とにかく害悪のある仕事観です。

一部の特権的な人間を一般化して見せてみんなこうあるべきだと言い立てる輩の頭の悪さにはうんざりしますが、世間がそれに乗っかっちゃうとまるでそれが正しいかのように、常識であるかのようにふるまいはじめます。

多かれ少なかれ僕の世代前後の人たちというのは滅私奉公的仕事観からは後ろ側に位置するのでどうしても自己実現を至上としてしまいがちですが、それと仕事とはやっぱり別だと思う。一緒にしようとするから苦しいのであって、むしろ仕事には自己実現以上の喜びがあるんじゃないの? とまでは著者は言っていませんが、本当にそう思います。

あるいはこれは「逃げ」の論理なのかも知れないけれど、目の前の仕事をとにかくこなしていく、言われた仕事は「こいつ使えるな」と思われるくらいに成し遂げていく、その点と点とがつながれていくことによって大きなものが見えてくる。そういうリニアな視点がこの本にはふんだんにあって救われる。これでいいんだ、と安心する。

いずれにせよ、前向きな気持ちになれる本です。

もう一冊。

赤坂真理は小説家で、彼女の小説はもう高校生の頃から愛読している僕ですがこの本は著者による女性論、オタク論、戦争論・・・まあ、いろいろてんこ盛りでパンチのあるエッセイです。もっと軽快な読み物なのかと思っていたのに、いい意味で題名に裏切られますよ。

特に女性誌の分類、解釈の秀逸さに舌を巻きます。「Cam Can」におけるエビちゃんの扱われ方とか「FRaU」の変遷など面白すぎる。男性不在の女性誌の紙面作り。結局女性誌の世界と萌えオタクの世界は同じことのウラオモテなんだという結論には説得力があります。そしてそこから透けて見えてくる現代女性の置かれている状況・・・線を引っ張りたくなる行が一ページに一つはあるので具体的な引用はしませんが下手なフェミニズム本よりずっと腹に来るいい本です。おすすめ!

時間とはなんなのか──『モモ』

児童文学にはまったくといっていいほど造詣がないのですが、ノスタルジーやら時間やらについて考えていく一環として『モモ』を読みました。

これ、けっこう深いというか恐ろしい話です。まったくもって児童文学の範疇にとどまっていないです。たしかにモモが時間泥棒と戦う様子ははらはらさせるし、子供にもおもしろいかもしれません。しかし大人がこれを読んだとき、視点はむしろモモに助けられるベッポやジジに行ってしまいます。

なぜなら、ぼくたち大人というのは子供のようにたくさんの時間を持っていないし、ましてや「大きければ大きいほどいい」「速ければ速いほどいい」という病気にすっかりかかっているので。この物語に出てくる時間泥棒に心を奪われた大人たちの哀れさの、なんとぼくたちと似通っていることか!

モモが見た時間の源、本当の自分の時間の源がなんなのか、というのが気になる。そしてモモが自分の源を見たその記憶を忘れたくない、と願うその気持ちが何とも言えない。

 モモはまるで、はかり知れないほど宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも彼女は息ができなくなりそうです。出口はありません! だれも助けに入ってくることはできず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべもありません。それほど深く、彼女は時間の山にうずもれてしまったのです。〈……〉もしほかの人びととわかちあえるのでなければ、それを持っているがために破滅してしまうような、そういう富がある〈……〉

すばらしい体験の記憶を共有できないつらさ、それがモモを閉じこめてしまっている。上の文章にはいろんな意味が潜んでいるようにも思えます。

それにしても、この作品には時間についてだけでなく時間と仕事の関係についても多くのことを語ってくれています。特にベッポの仕事の変遷などたどると、なんとも身につまされる。早くしろ早くしろと誰が言っているか知らないが、うちの会社の連中にも読ませてやりたい。もっとも本を読む暇なんてないと言われるかも知れませんが。。。

怒濤の予算が始まる

ふう・・・休日出勤なのに寝坊したあげくこんな時間まで仕事していましたよ。明日と明後日は休むつもりだけど、明日仕事してくれる人には携帯電話の番号を渡して「いつでも呼んでくれ!」と言ってきたので気は抜けねえぜ。

けっきょく買ってしまった「ハゲタカ」

さんざ再放送をやっていたにもかかわらず毎回最終回を見逃してしまうのはどうしてだったんだろう・・・というわけで、結局DVDを買いました。

なんだかイタリア賞とかいうテレビドラマの賞も取ったようです。なかなかNHKらしからぬ、でもよく考えてみればNHKでしか放送できないような内容。大森南朋もテレビにはあまり出ることのない俳優さんですが、やっぱりいい味出しております。

うちの会社も結構ファンドじゃないけどいわゆる外国人投資家が工場見学に来ることもあるし、同業他社で株持ち合ったりしているのでメーカーに務める身としてはなかなか勉強にもなるドラマでした。