【短編小説】彼女は映画の中を歩いている

 裕子のくせは腕を組むことだ。ものの本には自らを抱きしめる仕草として保身であるとか目の前の人間に対して心を開いていないという深層心理を明かしているだとかそんなことが書いてあったが、彼女はそれを読んでなるほどとは想っても自分に腕を組むくせがあるなどということにはいっこうに気がついていなかった。そういう人物だ。
 遅くまで仕事をしたあとの土曜日はたいてい昼過ぎまで眠っている。その日裕子がようやく目を覚ますと、四階の窓の外は六月のやまない雨が音もなく降り注いでいた。裕子は出かけようと思った。

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【短編小説】非常電話

 もし電話のベルが、かけてくる相手の感情にあわせて音色を変えるとしたら、卓也はその電話に出なかっただろうか。しかしこの問いはいささか彼自身にとってはアポリアであるかもしれない。なぜなら彼はそういう選択が可能な立場にはいないからだ。そんなわけで彼は午後二時にかかってきたいつもと変わらないベルを鳴らすその電話を取ることになる。

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ラジオっぽく・・・

podcast、とりあえず三回アップロードしてみていますがだいぶラジオっぽくなってきてますかね。ゲストのクラモチ君が音楽をやっている人なのでガレバンを駆使してそれっぽく編集してくれるのが助かります。

しかしあの10分のために2時間くらい使っているんですよね・・・・・・けっこう何テイクも取り直したり、いけると思ったテイクがフリーズしてぶっ飛んだり。

まだ試行錯誤ですが、そしてどうして管理人は一人しゃべりになるとあんなに暗いのかわかりませんがおつきあい願います。


『ノルウェイの森』再読

精神状態の悪い三日間だった。

毎日夕方まで寝ていた。

読めた本は『ノルウェイの森』だけ。けれどだいぶ真剣に読んだ。この作品の良い部分も悪い部分も、これでたぶんもう五回目なので知っているつもりではあるのだけれど、やっぱり引き込まれてしまった。

手元にある講談社文庫版の奥付は1998年。確か高校一年生の時、初めて買った村上春樹の本であった。以来、機会ある毎に読み返してきたのだけれど、その時々に考え続けていたことにヒントとなるセンテンスが散りばめられていることに驚く。

ある時は好奇心。
ある時は主人公のスタイル。
ある時は喪失感の代弁として。
ある時は記憶の存在意義について…。

そういう読み方をするものだから、概して村上春樹の小説というのは読み終わったあとでもあらすじを全然おぼえていない。それはぼくが筋のおもしろさをこの作家に求めていないからであって、『ねじまき鳥クロニクル』にせよ『海辺のカフカ』にせよよく話が破綻していると評される作品も、その破綻ぶりは実はあまり気にならない。

『ノルウェイの森』のなにがそんなに惹きつけるのかを事細かに書くことは出来ないのだけれど、かつて高校一年生だったときのぼくが太宰のはしかにかかって、でも大学に入ってからは全く読まなくなってしまったように、いつかふっと卒業できる日が来ればいいなと、思います。