月別アーカイブ: 2007年4月

なんというか

人によって態度が変わる人に対して自分が態度が変わっていることがいやだ。同じ穴のムジナじゃないか。

割り切れない。病む。

けじめ

先週は本当にひどかった、という話は先日エントリーで記したので繰り返さない。結局仕事のレベルは最低限を割り切ってた。

「今からやり直していると明後日に絶対間に合いません」

と、今から考えると社会人としてあり得ない発言をしてさっさとご帰宅。でもそれは辞める同期の送別会があったから。で、それをちゃんとわかってくれている先輩がぼくの代わりに間に合わない部分を手伝ってくれた。

翌朝、いつもより一時間早く行って、誰もいない室でパソコンを叩いた。今日中に何とか間に合わせよう。間に合わせることができる。そう思える状態にエクセルのシートはできあがっていた。

なんかもう、泣きそうだった。

いざとなったら誰も助けてくれない、という確信があった。

「え? それってしゃもぢくんの仕事だよね」

ということを言外に臭わされる瞬間は何度もあった。だから逆にぼくも「え? ぼく、それ手伝わないといけないんですか?」と言外に生意気を言うこともあった。売り言葉に買い言葉じゃないか。いくら何でもレベルが低すぎる。

こういう負のスパイラルはとにかく断ち切るべきだ。きっとぼくだけが思っているわけではないだろう。ぼくのような思いをするのはぼく一人で充分だ。

辞めていく同期にうちの会社の構造的な欠陥をいくつか指摘してもらった。努力する人が報われない。端的に言えばそうだ。「いや、それは両論あると思うよ」とぼくは言ったけれど、事実としてシステムが人間の働きを硬直化させているのは否めないと思った。

システムって、大きな話のようではあるし、確かにこれだけ大きな会社だから昨日今日で変えられるものではない。けれど、人が集まって上下関係を強いられる場所であれば見えない構造というものは意外と簡単に、そして堅固にできあがってしまうものだろう。その意味では部でも室でも班でも、問題は同じだ。

だから自分の足下から変えられるものは変えることで、波紋のようにそれは伝わるはずだ、と信じたい。

はやりの言葉ではあるけれど、良い意味でスーパーフラットな組織というのがぼくの中では理想。齋藤孝も言っているけれど、たとえば会議一つをとっても始まる前と終わった後でクリエイティブな何かが生み出されていないのならやる必要なんてあるのだろうか? どっかの知事も「定例記者会見って必要ですかね?」と記者に食ってかかっていたけど、まったくそれはその通りだ。上下関係なく一つの問題に対して意見を述べあう。上は上の視点で下を開眼させなくちゃならないし、下は下なりに実務的な観点から何が可能で何が不可能かを峻別すべきだ。やるのは我々なんだから。

報告が仕事じゃないんですよ。

だって御前会議が多すぎる。ぼくみたいな下っ端が御前会議で発言権があると思いますか? 沈黙がベスト。下手な宿題を持って帰らされるのはまっぴら。そう思ってしまうでしょう、やっぱり。それがとにかくバカバカしい。

繰り返しますが、報告が仕事じゃないんですよ。

とにかく、ぼく個人の問題も含めてしっかりと変えるべきところは変えていこうと思っている。そのきっかけは充分に与えられている。そういう場所にようやくぼくも来た。腐るな。できることは限られているが、限られている中でまずは腐らずに一つ一つやり遂げていきたい。いきなり変わる訳じゃない。けれどぼくが自分を見失わずに気をつけていればそれだけで充分な部分はある。それくらいの矜持と自負とはある。

けじめつけて、出直しです。

ほころび

今週は客観的に見ても主観的に見ても非常に精神状態が悪い。こういうときに産業医面談をやられると、もっとも負の状態を見せることになるのでいらぬお節介をいろいろされる。でも、別に、それで何が変わるというわけでもない。

ほころび。

そいつが出てきたような気がする。

一応職場環境の中でできる役割を精一杯演じてきたわけだが、それが限界に来ているのかもしれない。本当はとっても不機嫌な人間だというのに。それも仕事、と言われればそれまでだ。ぼくは仕事ができない。

最悪の時もぎりぎりのところでひた隠して笑っていた。

いったい何の意味があるというのだろう?

そういう種類の疑問をあらゆるものに対して向けてしまっている。それはまるで牙だ。棘だ。刃物だ。「あらゆるもの」というのにはもちろん自分自身も含まれている。

かえって自己否定に陥っている「だけ」の時の方が救いようがあるのかもしれない。

いらいらする。言ってることとやってることの違う人たちを前にしていると。

そのことを指摘すればよい? 残念ながらそういう役割ではないのだ。残念ながら、ぼくは仕事ができていないのだ。そしてそれが会社の中での評価の全てというものなのだ。それはとても公平なシステムなのだ、ともぼくは自著の中で書いた気もする。

もうやってられない。そんな言葉ばかり繰り返し頭の中をめぐる。だから思いっきりレベルを下げて仕事をしている。でもそのレベルというのは最低限を割ってはいないのだよ。そのことをわかってほしいのだよ。

しゃもぢに激似…? の映画

柳楽優弥があまりに似ている! 顔が、状況設定が。

同期と三人で見たのですが爆笑でした。
「しゃもぢフラれた!」
「しゃもぢダセー!」
「この、『えっ?』って顔そっくり!」
自分で言うのも何なのですが、自分で言うしかないのですが、自分で見ていても気持ち悪いくらいでした。。。ガス・ステーションでバイトしないとな。

沢尻にフラれた優弥君は「男はやっぱり学歴だ!」と悟り、東大に入って誤って国文なんかに進んで後悔してしまうのでした、ちゃんちゃん。

なんにも変わっちゃいない

ここ最近、だいぶ波が激しい。

昔から感情の波の高低が激しいのは自覚していて、それは病理的なレベルのものではないのでまあなんとか自分の中に押し隠していられる。人から「気分屋」と指摘されることはない。一見平穏な人間が心の奥底まで平穏かといったらそんなことはなく、でもなかなかそのことは人に言っても理解されることはない。表現していないから当たり前だ(ところでぼくはハッピーエンドの小説を書いたことがない)。

しかし感情の表現はぼくにとって醜いことであり、その倫理観は特に人と相対しているとき遵守される。それは”クール”ということではないのだよ。

 十四歳になった春、信じられないことだが、まるで堰を切ったように僕は突然しゃべり始めた。何をしゃべったのかまるで覚えてはいないが、十四年間のブランクを埋め合わせるかのように僕は三ヶ月かけてしゃべりまくり、七月の半ばにしゃべり終えると四十度の熱を出して三日間学校を休んだ。熱が引いた後、僕は結局のところ無口でもおしゃべりでもない平凡な少年なっていた。
(村上春樹『風の歌を聴け』講談社1979)

しかしとにかく、みんなで集まってワアってもりあがってそこで大言壮語したあと、一晩眠ったあとが酷い。これまでの人生のあらゆる負のイベントに味わった感情がよみがえり、これから先に予感される負のイベントに味わうであろう感情が先に訪れる。それと全く逆のことをつい数時間前に味わっているだけに座標軸のプラスからマイナスへの高低差は時には耐え難いものとなる。

「こう 波みたいにガーッときて
 かと思ったら すーっとひいて
 それがずっと くりかえし 続くだけさ」
「時々 大波が来て 心臓がねじ切れそーになってのたうったり
 叫び出したくなりそーな夜とかが
 周期的にやって来たりするけどね」
「ま
 そんだけの話。」
(羽海野チカ『ハチミツとクローバー』第7巻、集英社2005)

と、たばこを吸いながら”クール”に放つ花本修の実際にのたうったりする夜の場面は決して描かれない。人生が自分以外の観客を持つステージなのだとしたら、ぼくは楽屋の様子にしか興味がないのかもしれない。あるいは、自分の楽屋にこそ人がどかどかと入ってきて慰めてもらうのを期待しているのかもしれない。それは、単にただ、醜いだけだ。ぼくはそう判断する。

劇的である必要はないが、劇的に仕立てる必要もないが、それでもななおそういう虚飾に対する拒食性が劇的であってほしいと願うぼくは本当に救いようがないのかもしれない。

そう思って、昨日の午前三時くらいまではこの状況について何も書く気にならなかった。対象との距離を生み出すための筆致はそれでもある程度の時間的な距離を要する。それを待たずして書き始めようとするときの外科手術的な焦燥もまた、実際のところ耐え難い苦しさではあるのだけれど。とにかく、もう一晩眠ってみて、いま感じるのはいつも通りの心地よい絶望感の底。しかしそこは常にぼくの出発点でもあるのだ。

しかしながら……。

おびただしい量の風景画は 全て
たった ひとつの構図だった
2人は 小さな村の この大きな古い家の中で
静かに 出口を 失って いったのだ
(羽海野チカ『ハチミツとクローバー』第2巻、集英社2005)

ここでこうしてキーボードに向かっている。
感情の定点観測は終わりを知らない。きっこれは死が訪れるまで続く。「出口」など最初からないのだ。

一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。
(村上春樹『1973年のピンボール』講談社1980)

村上春樹のその願いは実現されたのだろうか?
そもそもぼくは「出口」なるものを所望しているのか?
しかし出口の見える入口に立ったとき、人はちゃんと出口までの行程を踏むことができるのだろうか? 結局のところ原理的に我々の目には入口しか見えないのではないのか? だからこそそれがあるにせよないにせよ出口を渇望するのではないのか?

たとえ話はこれくらいにしておこう。

いずれにせよあり得ないと思っていた社会人三年目を迎えました(それを言いたかった前口上です、上のは全部)。「やる気なんてあってもなくても仕事の結果は変わんねーよ」とついつい言ったら「三年目の意見ですね」と後輩に返された。それは良い意味でも悪い意味でもってことなんだよな。少しずつ室内での自分の立場も変わってきました。変わらざるを得ないという一面もあるし。しっかりとセルフコントロールできるようになりたい。なんかまとまりがつかないので、以上。