「やわらかい生活」

やわらかい生活 スペシャル・エディション
やわらかい生活 スペシャル・エディション

映画雑誌の06年度ベストワンに選ばれていたこの作品(ちなみにワーストワンは「ゲド戦記」)、レンタルで借りてきて見ました。

いや、もう、予想に反して良かったです。もっとほのぼの系の映画かとたかをくくっていたのですが全然そんなことはなく、たとえとして適切ではないかもしれないけど南条あやが30代を迎えていたらこんな感じだったのではないかなと思ってしまった。

映画の最初の方は洗濯とか飯を食うとか風呂にはいるとか、そういう人間として最低限の営みの尊さを訴えてくるのような絵が連発されて、それはそれでいいのですが、ラストに向かうにしたがってどんどん救いがなくなっていって、最後は絶望で終わります。絶望の中の小さな光とか、そういう姑息なことをしないのが潔くていい。とにかく、とてもいい。

個人的には昨年度は

・「フラガール」
(単館上映ながらけっこう混んでいた。レンタルでも見直したけどやっぱりストーブ集めのところでどうしても泣けてくる)

・「ゆれる」
(要は「藪の中」です。あの緊迫感はすごい。そしてオダギリはなにやっても絵になる)

・「嫌われ松子の一生」
(テレビドラマ版より映画の方がずっといい。「下妻物語」のノリにはまった人は見て損しないと思います)

と、本当にいい映画づくしで、というか自分好みの映画がたくさん上映されて、邦画しか見ることのできない自分にとっては大満足でした。今年もたくさん見るぞー!


宮崎駿の仕事

NHK「プロフェッショナル-仕事の流儀」で宮崎駿の特集をやっていた。主に来夏公開される新作映画の創作過程を追うものだったが、構想段階での朗らかな表情が、本格的に制作に入るとかなり険しく厳しい表情に一変する様を見て、あ、やっぱりこの人は尋常じゃない熱意で映画を作っているんだということを感じた。

この手の番組は石田依良とかしょっちゅう出てくるけれど、やっぱりカメラの前でさえ不機嫌さを露わにする宮崎の本気度合いというのは鬼気に迫ってくる。「何が聞きたいの?」なんてなかなか言えないよ。

インタビューしていた茂木健一郎もいつもの活弁が全然発揮されてなくて、ただただ巨匠を前にして自らの化けの皮がはがれないように脅える一回のパフォーマーにしか見えなかった。そういうところもひっくるめて、宮崎はやっぱりすごいと思った。

改めて考えてみると、あれだけの完結した世界観を持った作品をいくつも生み出しているというのは大変なことだ。この、「いくつも」というところに今更ながら脱帽する。

それでも救いだったのは、彼がとにかく時間をかけて練り上げて、常に作品のことを考え続けて、その上で作品が生み出されつつあるという現場を見れたこと。あれだけのものがひょいひょいペンの先からすらすら出ているのだったら、もう彼以外の人間はものなんか作らなくてもいいようにも思えてしまうだろう。

というわけで、今からぼくも小一時間小説を書こうと思います。この前書き出しだけ10枚くらい書いた例のヤツは「高炉とカーテンウォール」になんとか組み込むことにした。これは徹底して喪失の物語にしたいと思っています。自分のすべてを賭けてなっ。


ミラジーノ納車

車を軽に買いかえました。

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今までオデッセイに乗っていたのですがもうでかい車に乗るメリットもなくなってきたかなーと思い。しかしミラジーノはかわいい。最高にかわいい。なぜなら

(゚Д゚)

に見えるからなっ。


「就活HACKS!」第一回

アップされましたのでリンクしておきます

ぼくが会った中でも人の話を聞いても今年は学生さんにけっこう余裕があります。うらやましいというのもあるけど、決して氷河期を賛美する時期尚早もいいところのノスタルジアでもないのだけれど、なかなか複雑な思いを抱いてしまいます。

昨日は同期とさんざ「一生サラリーマンはヤダ」「じゃあ何がいいんだ」という問答を繰り返し結局得られた回答は下記の通り。

「100万貯めて沖縄移住。あわよくば沖縄電力に転職」
「やっぱり赤色革命で貨幣をこの世から一掃する」
「自転車置き場のおじさんがいいなあ」

同年代の友人たちが家族を築いてゆく~・・・


「なにをそんなに?」

その人の人生を最後まで見てみたい、と思わせてくれる人がたくさんいて、彼らはぼくにたくさんの刺激をくれて、ぼくはそこから小説を書くことができたりする。

こんな書き出しを考えている。

 その日のことは、よく覚えている。
 ギャラリーに入ってきた亜子ちゃんがいきなり「わたし結婚することになってさあ、もう最近すごい忙しいのよ」と言い出したのだ。彼女はさも「忙しい」という部分を伝えに来たかのような口ぶりだったけれど、その場にいたみんなは一瞬凍り付き、亜子ちゃんといちばん親しかった私が結局口火を切らなければならなかった。

女性の一人称はとても書きやすい。ぼく自身と語り手との間に微妙なずれがあるからだ。書くこととは対象との距離を取るためにまずぼくがしなければならない外科手術のようなもの。

作者=語り手というのはやってみるとけっこうしんどいものなのだ。そのしんどさは「高炉とカーテンウォール」にもよく表れている。結局、男の言葉になってしまう。それはきわめて近代文学的で、そしてそれは我々が越えなければならないもの。

これは大いなる挑戦である。
心ある読者よ、よろしく活眼を開けよ。

なんて、太宰なら言いそうなところだ。

「なにをそんなに?」

然り。その疑問にも答えていこうと思う。これはとても、本当に個人的な挑戦なのです。人には子供の遊びに見えても、本人は自己の記録更新を目指しているのです。自己表現ではない、自己変革のための創作を。それを志したい。


いつだって終わりは突然やってくる

自著より引用。

いつだって新しい状況に慣れることは得意だった。そうして、いつのまにか自分がとんでもないところまで歩いてきてしまっていたことに気がつく日が必ず来る。決まってその瞬間に幕が下りた。突然それは終わってしまう。そしてまた新しい環境に身を置くことになる。それを繰り返してきた。

ようやくぼくは「そのこと」を語るところまで歩いてきたのかもしれない。その道のりは「地味」の一言につきるだろう。だがそれは「堅実」とか「マイペース」とか、そういうプラスのコノテーションを帯びた言葉に置き換えられるようなたぐいの「地味」さではない。文字通り、ぼくは何の色もない、あるいは何か色はあったのかもしれないが光の無いためにぼくの瞳にはその鮮やかさが映じない道のりをとぼとぼと歩いてきた。

何度かぼくは「そのこと」について書こうと脈絡のない物語をワープロに打ち込んだりもした。それはいつでも徒労に終わり、数日かけてやっと一枚ということもざらだった。

ぼくは焦りすぎていたのかもしれない。

焦る必要はなかった。このときが訪れるのをただじっと待っていればよかったのだ。

太宰治がその処女創作集『晩年』(なぜデビュー作にこんな題名をつけたのか? それが彼のすべてを表している)を刊行したのは彼が27歳の年の六月。メルクマールにするには好都合の数字だ。ぼくはこれから27歳の六月まで作品を書きためることにしよう。そしてまた本を出すことにしよう。それからのことはまたそのときに考えればよい。

しかしこのエントリーがただのきまぐれなマニフェストに堕する日が来ることも、どこかで願っていたりもする。しかし今度ばかりは、残念ながら、そんな日が来ないことを確信している。これは静かな絶望である。静かな諦念である。

──くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。
   この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。(太宰治)


【短編小説】高炉とカーテンウォール[第三稿]

 昔はよかった。本当に昔はよかったんだよ。海は青く、山は緑にあふれていた。人々は毎朝太陽が昇ると働きだし、日が暮れれば家へ帰った。老いも若きも互いをいたわり合い、子供が生まれればみんなで祝福した。誰かが死ねばみんなで悲しんだ、涙を流さぬ者はなかった──なんてことを目を細めながら言う好々爺がいることを、ぼくはこの街に来る前にずいぶんと期待したものだ。
 ここは茨城県の海沿いにある鹿島臨海工業地帯。
 こんな単語は小学校の社会科にまで記憶をさかのぼらなければ思い出すことさえない。北関東工業地域、あるいは太平洋ベルト突端に位置するこの臨海工業地域にはあらゆる重化学工業が集まり来たっている。
 記憶の片鱗に残る教科書の記述を舌の上で転がしながらぼくは大学生活最後の春休みにずいぶんと空想をたくましくしたのだ。東京の実家の部屋でうんうんとうなって、自分がそこに暮らすということを。
 たとえばそう、工場へ続く道には立ち飲み屋が軒を連ね、終業時刻を知らせるサイレンが鳴り響くやいなや一斉に労働者たちがそこへ駆けつける。土埃の舞う狭い路が赤い提灯の光と彼らの足音とで満たされる時刻が一日に一回やってくる。
 その一角にある居酒屋、いや「呑み処」という言い方がむしろここでは正しいだろうがとにかくその「みの吉」ののれんをくぐってみよう。まず目に入るのはカウンターの上にどっかりと居座っている、飲食店には珍しい大型のテレビ。それが野球中継を映し出していて、その大音量に店の客たちは釘付けになっている。
 座敷の客たちはあぐらをかいて作業着の上着を脱ぐと、首にタオルを巻いて汗をふく。そうして運ばれてきたビールに、コップに入った日本酒にめいめい口を付ける。脱いだ上着から思い出したようにくしゃくしゃにつぶれたたばこのパッケージを取り出すと灰皿を引き寄せる。その横にぼくもお邪魔することにしよう。
「おう、若いの、ここじゃあんまり見ない顔だな」
「ええ、最近こっちに来たもんですから」
 恐縮の態度を見せながらぼくは確信犯的にメニューを開く。ぼろぼろの厚紙に筆で書かれた品書きは油のシミでほとんど読み取れない。それでいいのだ、ここに集うものたちは女主人に出されたものを文句なくおいしそうに平らげる。
「おう、そうかそうか。それじゃあ今日はおじさんがおごってやっからよ! 話し相手になってくんな。おい、お母ちゃん! この若者にビールと枝豆と……あとなんだおめえ、好きなモンたのめ」
 そういって男はぼくの背中を思い切りばしばしとたたく。そこへ太った女主人がやってくる。
「あんまり若い子をいじめないでやってくださいよ」
 彼女は伝統指向型の親父と働いてもう三十年、この街のことならなんでも知っている。ぼくと男のとの間にザルに盛られた枝豆の山、それから日本酒の瓶が置かれる。女主人はちょこっと座敷の端に腰をかけると、一日の労働から解放されて今日の出来事をしゃべりたくて仕方がない男たちの聞き役に回る。
「しかしまあ、昨日も穴掘り、今日も穴掘り、明日もまた穴掘りだ。おれたちの班が終わると次のやつらが来てな、杭を打ち込んでいく、そんでもってまた次のやつらが穴を埋めていく。その繰り返しだ。おれもたまには人が掘った穴を埋めてみてえもんだな。気持ちいいだろうなあ。でも俺みたいなのは人様のために一生穴を掘り続けるのが関の山さね、最後にゃ自分の墓穴も掘らなきゃならないかもなあ、ハハハ」
「あらまあ、そんな気持ちじゃ明日も働けないよ。仕事があるだけでも感謝しなくっちゃ。あんたたちがいて、私らも商売できる。そうでしょ? さ、ほら、飲んだ飲んだ」
「や、すまない。このコップ一杯がないと最近は寝付けなくていけないや。ああ、心の内ぞあわれなる、と」
「今日は銚子からいいかつおを仕入れたのよ。どう、ちょっとあぶってあげるからつまみなさいよ」
 まるで大正時代のプロレタリア小説を、もう少しだけ牧歌的に書き直したら現れてきそうな世界。陽気さと陰気さとが二元論的に交錯し、人々は互いに補完し合ってこの世界を成り立たせている。無駄なものは一切ない。彼らは互いが互いを動かし続ける歯車であり、そしてその価値を十二分に知っている。これは悪い意味で言うのではなく、ひとつのユートピアの顕現が、ここにはある。

     △

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綿矢りさ『夢を与える』

綿矢りさ『夢を与える』を読みました。

単行本が発売されて、そういえば初出掲載紙を買ったままで読んでいなかったのを思い出して本棚から「文藝」06冬号を取り出して読み始めました。

この号は伊藤たかみの芥川受賞特集で、そういえば彼の名前を見るのは同じ「文藝」でもう何年も前に彼の『ロスト・ストーリー』刊行後のインタビュー記事を読んで以来だなあと考えると、あれ、もう10年近く前の話になる。

あのころは河出がやたら「J文学」という言葉を流行らせて、その中の若手一作家という感じだったのですが……ぼくも高校生だった! なんだか時間の恐ろしさを感じさせる。

で、話を戻して。
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作品の内容についてはもう方々で紹介されているので今更ですが、子役アイドル夕子のビルドゥングスロマンとでも言ったらいいでしょうか。

芥川賞受賞第一作にしては平凡なタイトルだなー、と思ったらぜんぜんそんなことがないのがこの作品のすごいところです。読後、この言葉は読者にとってなんというか引っかかる、軽々しく口に出すのをはばかられる言葉として立ち現れてきます。

「(…)たとえば農業をやるつもりの人が“私は人々に米を与える仕事がしたいです”って言う? (…)“与える”っていう言葉が決定的におかしいんだと思う。お米は無理で夢だけが堂々と“与える”なんて高びしゃな言い方が許されるなんて、どこかおかしい(…)」

この小説はこの台詞を起点として「与える/与えられる」という関係性における人間の有様を描いているのだと思う。

仕事を与える/与えられる

とか

いや、それ以上にこの無味無臭の言葉に隠れているひだのようなものにまで作者は言及している。

無名時代の夕子は仕事を与えられるばかりだった。それがひとたび売れっ子になれば仕事を「お願いされる」立場になる。「与える/与えられる」という関係の一つの変奏。

幼い夕子が周りの大人たちに媚びを売っても彼らはいっこうに喜ばなかった。与えているのに「受け取られない」という態度。本人は「与えている」つもりでも「与えられる」という彼岸がなければ成立しない悲しい関係性。

あるいは正晃の「まだやれるからって、やる必要はないだろ。まだやれるけど、やらない。それでいいんじゃない」という、与えることができるのに「与えない」という考え方。

そして最後の「スキャンダル」のエピソードは「与える/与えられる」という関係性が「奪う」という行為によっていとも簡単に崩壊してしまう様を代弁しているようにも見える。

非常に救いのない物語ではあります。スキャンダルのあと夕子は「でも、今はもう、なにもいらない」と「与えられる」ことのすべてを拒絶する。そしてこの小説のタイトルが「与える」ではなく「夢を与える」である以上、夕子は「夢を」「与える」のそれぞれにこだわりを持ち続ける。

夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。だから夢を与える側は夢を見てはいけない。

というよく引用されるくだりは、おそらく、「米」と夢の違いを的確に述べている。「米」は与えられると同時に与えることができる。米を食いながら米を作ることはできる。しかし夢は、与える側がその享受者として同時に存在してはならないもの。

夢が現実の対義語として存在するのならば、

(「夢/現実」=夢)/現実

という図式に見える「=」のうさんくささを、だれしもが感じ取ってしまう。そこにつけ込まれたらおしまいだ。掟を破った夕子は確かに悲劇に見舞われてしまう。

という、そういう小説です。これをアイドル作家としてはやし立てられた作者本人と重ねてついつい読んでしまわせるのが、にくいなあ、と感じてしまう。まあ、本人は否定しているけどね。