月別アーカイブ: 2006年7月

mixiミュージック

って、すごい機能ですね。存在を知らなかった。

iTunesからの楽曲リストを読み込むことはこのロリポブログでもできるんですが(で、サイドバーに表示すると)、なんと更新が手動なんですよ。いちいちxmlファイルを読みに行かなくちゃならない。

ところが! このmixiミュージック、下のように更新ソフトが常駐してくれてログインのたびごとに勝手に更新してくれるんです。

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いやー、すごいなー。

けっこうセキラララですねっ。自分の聴いている曲がバレてしまうなんてさ。でもmixiユーザのランキングとか見てると結構面白いです。

昔のことを考えてもいいんだよ

村上春樹『アフターダーク』より

人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな。その記憶が現実的に大事なものかどうかなんて、生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。ただの燃料やねん。〔中略〕
大事なことやらしょうもないことやら、いろんな記憶を時に応じてぼちぼちと引き出していけるから、こんな悪夢みたいな生活を続けていても、それなりに生き続けていけるんよ。

なんだか、勇気づけられる話ですね。
こういう、ぎりぎりの線で生きていくことの美しさをもっと学ばないといけないと思ってしまいます。演歌チックですけど。

きのうはなんだか久しぶりに酒を飲んでヘコみ気味です。

Coccoの歌詞がシンプルになっていっている件について

書いてありました。
雑誌「bridge」のロングインタビューで。

もう歌イコール感情っていう低い世界にいないっていうか。歌は歌っていう。うわ、すげえ。歌ってただの歌なんだっていう。

Coccoにとってもう歌というのは自己の感情を外へ吐き出すための手段ではなくなったということなんですね。
そのあたりの変化っていうのは「ガーネット/セレストブルー」ぐらいからうすうす勘づいているんだけど(あっ、なんか変わってきているな、という程度ですけど)、
そのことがちゃんと本人の口から言葉にされていてとても納得がいった。
他にもこのインタビューにはいろいろ貴重なエピソードが明かされていて、再読、三読の価値ありです。

それにしても悔やまれるのは南条あやさんがこのCoccoを知らないっていうこと、ですかね。。。

ばなな的癒しの真骨頂

ハゴロモ最近、ぱななさん文庫化が二冊実現しました。
上の『はごろも』(新潮文庫)と『海のふた』(中公文庫)です。
どちらも買ってさっそく読んでいます。

で、『はごろも』のなかに本当に良い描写があったので、思わず「こっ、これはブログに書こう!」というわけです。

主人公の「ほたる=私」は長い愛人生活を終えて自分の田舎に戻ってきます。
そこで知り合ったある青年「彼=みつる」はある事故から夫を亡くしてしまったショックから寝込んでしまっている母親の世話をしています。
彼はそのかたわら、インスタントラーメンを作って出す店をやっていて「ほたる=私」とはそこで出会っています。

 ある午後、スーパーで買出しをしているみつるくんを見かけたので、私は声をかける前にその様子をじっと見ていた。いかつい肩で、大股に歩きながら、ラーメンを山盛りに積んで、キャベツやもやしやキノコを真剣に選んでいた。
 その動作には何か人をほっとさせるものがあった。
 彼はいろんなことを全然急いでいない、何も急いでいないのだ。
 私は、自分がそれを知らなかったことにがく然とした。
 状況から見ても、彼は気をまぎらわせるために、何かに向かって、どこかをめざして、そのあいている時間をつまらなくしないためにラーメンを人に食べさせたりしているのかといつまにか私は思っていた。
 でもそんなことではなくて、彼は今は、単にそれをしているだけなのだ。〔後略〕

長い引用になってしまいましたが。

目的の手段に堕してしまった行動に価値を見出せないのはぼくの哲学・・・
というか、思考回路の悪い癖なのですが、
それでもこの一説に描写されている「彼=みつる」の姿はとてつもなく美しい。
ね、そう思いませんか。

彼は決してなにかのために、
なにかの代わりに、
そのことを行っているわけではないのです。
じゃあ彼は好き好みだけでラーメンを作るのか?
それさえ超越しているような気もしてなりません。

『遅読のすすめ』じゃないですけど
「本棚には本か並び、食卓には食器が並ぶ」ような生活。
静かで、
無駄がなく、
あたりまえのことがあたりまえになされていく生活。
淡々と、いつ終わっても悔いの残らないような生活。
それは本当に僕にっては理想なのです。

設問を解くために読まれる小説の問題文。
日曜日のために過ごす平日。
上司受けをよくするために出る飲み会。
ボーナスを慰みにするサラリーマン生活。
読み終わるために読む本。

一体こんなものになんの価値があるというのか?

読んでいることそのものが現在進行形で楽しみであるような小説。
単に面白いと思うから一緒に飲みたい上司。
お金をもらえなかったとしてもやってみたい仕事。

理想論ですか? そうですね。
でも、自分が今目的論的文脈の中にいるのか
純粋行為的(なんかこう言うと三島的だなあ)文脈の中にいるのかは
とりあえず自覚的でありたい。
なるべく後者でありたいと願いつつ。。。
でもそれはきっと気の持ち方なんだよね。

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昨夜はサークルのOB会でした。
そうです、僕もいっちょまえにOBなのです。
最近このサークルは日に日に縦のつながりが強くなってきて、
僕が部長やっていたころとは本当にいい意味で変わってきています。
正直言うと僕はあんまり本流の人間であってはならないと勝手に思い込んでいる人間なので
陰から見ていようかなと思っていたのですが、
昨日の飲み会が純粋行為的なだったので(出たー!)
ちょっとこれからはできるだけのことはしてみようかなとも思っています。名簿で名前だけいつも拝見していた方々とお会いできたのは貴重な体験でした。

ありがとう、おつかれさまでした。