月別アーカイブ: 2006年7月

潮来市立図書館

今年の五月に開館したばかり(その事実は最近知ったのですが)の潮来市立図書館に行ってきました。潮来市は鹿嶋市に隣接する市で、インターの終点ということもあり鹿嶋よりも知名度はあるのではないかな? といった感じのところです。

51号からものすごい細い道を入ってうねうね坂を下ったり上ったりすると、ありました。キレイな建物。最近足が遠のいていた鹿島市立中央図書館とは大違いです。駐車場もそこそこ広いので車で行けます(鹿嶋は駐車場スペースが少ないので自転車でがんばって行っていたのです)。

中に入ると・・・おお、なんだこの開放感は! 書棚が人の身長よりちょっと低いくらいしかないためになかなか広々とした視界を確保しています。おかげでよく街の図書館にありがちなあの書架の向こうにはなにがあるんだろうワクワク、みたいな感覚はありませんが、いい意味で最近の公共建築の見本みたいな感はあります。

そしてとにかく本が新しいのです。文庫も。できたばかりなので全部買ったばかりのまだおまけのしおりとか月報とか挟まっているような本ばかりなのです。これは利用者としてはありがたいですよ。図書館全部が新本なんて、人生のうちでそうそうあることじゃございません。

今度行ったときはカードも作って(お勤め先が一部潮来市に含まれているという論理のもと、利用者として認められるらしいのです)しばらく通ってみようと思います。

鹿島宇宙通信センター

会社に行く道の途中に鹿島宇宙通信センターという独立行政法人があります。知らない人にこれを説明するとしたら、「住宅地の真ん中にでっかいパラボラアンテナがそびえているところ」といった感じでしょうか。

今日だけは一般公開ということで同期四人で行って参りました。

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で、なにをやっているところかといえば衛星携帯電話の研究とか……でしょうか。説明が難しすぎて(あるいはあまりにも夏休みの小学生の自由研究向きで)、それくらいしか把握できなかったのは残念。まあでも日本の経度緯度の測定とか電波時計の電波とか、それなりに関係しているようです。

そして目玉は直径34mのパラボラアンテナ登頂!

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こいつの上まで登ると鹿嶋の街を一望できるというわけです。高い建物がないからなー。

と、そんなわけでなかなか有意義な一日でしたとさ。

ちなみに会社の人が家族連れでいるのを多々目撃しましたが若い男の集団なんて我々くらいなものでした。「大学生ですか?」と施設の人に何度も聞かれたりしましたがね。

ひとりごと

最近グーグルダンスしてませんか?

えっらい検索結果が前と違ってきているような気がするんですが。。。

厄年のはじまりはじまり

すっころんでアゴを縫いました。しかも夜中の急患で(爆)

今日は会社を休んで再来に行ってきたんですが
まあなんとかなっているようです。

車も直してもらいました。
ヘッドライトだけで7千円も取られました。あ゛ぁ…

ポッドキャストでニュートリノ

最近やっとpodcastも聴ける番組がいろいろ出てきて楽しんでおります。

たとえばノーベル賞を取った小柴先生の講義(映像つき)。
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講義の最後の最後で質問を受け付ける場面があるんですが、質問をする人がまったくおらず司会のたぶんエラい先生が「ニュートリノのように(学生の頭の中を)通り抜けちゃった」とフォローなのかオヤジギャグなのかよくわからない発言をするあたり、だいぶツボです。

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これは東大の公式的な配信のようで、すごいですね。

Web2.0とか最近言われてますけど、ぼくもご多分に漏れず梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読んだのですが、大学や官公庁、そしてもちろん企業など大きな組織が広い意味でオープンソースを実現していくことにどのような意味があるのかを考えさせられます。

ぼくのお勤め先でも全社的な掲示板(業績とか議事録とか)というのはあって、ログとかもとれるらしく「おまえの貼った資料、○○からもアクセスがあるよ」と言われてビックリすることも。資料を作って貼るという仕事がルーチンになっているあまり、そういう生々しさを見せつけられると新鮮だったりします。

機密漏洩といったような企業体にとってマイナスのケースもありますから社外的な情報開示がどの程度必要なのか(あるいはそういう発想こそがWeb1.0的だと言われればそれまでですが)は議論すべきですけれど、まずは社内で情報をオープンしていくことは大事なんじゃないのかな。

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』にも書いてありましたけどけっこう鉄鋼ってシステムに依存する度合いが大きくて、ぼくもよくSEの方と打ち合わせを持ったりします。ここにこういう情報が来るようにしてくれとか、ここのコード変換はどういうふうになっているのかとか、案外IT企業っぽい場面もあります。これは鉄鋼会社に入っておどろいたことのうちの一つです。

と、ちょっと最近はサラリーマンであることを生きることにベースにしようと身近な問題についていろいろ考え始めているところです。

二校が届く

デビュー作の進捗です。

六月末に返送した初校が戻ってまいりました。初校では最終の推敲という感じでしたが二校では表記の統一を行います。要は同じ表現を一つの小説のある部分では漢字で書いていて他の部分ではひらがなで書いていた、みたいな表記の揺れを修正するというわけです。

こういうのも実はけっこう小説を書く際は検索など駆使して気にしているつもりではいたんですが、やっぱりプロの編集の手にかかると赤字だらけです。土日でやっつけるぞー。

ところで一昨日、24歳になってしまいました。残業しまくって手取りが30万を越えてしまっていたので腹いせにiPodを購入。Rie fuの新しいシングルを聴きまくっています。

反動で最近はぜんぜん仕事していません。そろそろ叱られそう。

「終わりの始まりの幕を上げよう」

学園ものといえば卒業と同時にストーリーが終わってしまうのが王道なのですが、今まで当たり前のように一緒にいた仲間がそれぞれの道へ別れていってしまうという、ある意味での人生の残酷さというところにまで踏み込んでいるのがハチクロなのでしょう。「のだめカンタービレ」もしかり。たぶんこの二つの美術大系マンガがヒットしているのはちゃんと(というか、かなりしっかりと)その辺りの葛藤まで描いているのが要因なのではないかと思ってしまいます。

しかしせつないなー、このマンガ。

好きなことしていいのよ←だけどよ!

それにしても好きなことをするということがどんなに難しいかというのは、大学を出てみなければぼくにはわからなかった。

ぼくの所属していた国文学科は非常にゆるいところで、取得単位数も普通に講義に出ていれば一年で揃えられるし、卒論に関しても「一月十八日までに出してね」で終わり。だから好きなだけ本を読むことができた。図書館が大好きだった。紙の饐えた臭いが充満する書庫にもぐって、エスペラント語の教科書や江戸の版本やちょっとマニアックな作家の全集(上林暁とか梅崎春生とか岡本かの子とか)や「海燕」の目次を眺めたりするのが大好きだった。本当にあの図書館にないものはないと言っていいくらいで、森?外の蔵書がほこりにまみれて置いてあったり文学雑誌が初号から揃っていたり(復刻版ではなくね)、ぼくにとってはまさに夢のような場所でした。他のどこよりも楽しめて、退屈させない場所でした。好きなことを好きなだけできるピーターパンの国でした。

さていま僕の部屋には埴谷雄高全集第三巻、日本近代文学事典全六巻と昭和文学全集(天金の例の赤いやつです)が数冊あるもののあの本郷のネバーランドとはほど遠い。

なにを懐かしがっているのだろう?

たとえば「これから先も、自分の給料はことごとく本代につぎこんでいつか甲村記念図書館みたいな私設図書館を作り上げたい」なんて宣言してみる?

そうじゃなくて、そういうことじゃなくて。

もっと本を読む時間がほしいと愚痴るほど仕事が忙しいわけでもないが、けれど一日中パソコンの前に座って寮に帰ってからドストエフスキーとか読めるかといえばなかなか難しいというのも確かだし、ただやっぱり一番確かなのはどんどんとなし崩し的に悪い意味で現実的になってしまっている自分というのがいて、それがすごくいやです。

ぐちになってしまいましたっ。

好きなことしていいのよ

梅酒のCMで流れていて「あー。たしかにもっと好きなことしたいなあ」と思った。
ラブソングではあるんですが、さびのワンフレーズが妙に響いてしまいまして、
このところ聴きまくっています。

昨日は室の飲み会で、某先輩と文学の話をする。
人は出身学部で判断できないなあと改めて思った。