月別アーカイブ: 2006年5月

何時帰りが早いっていうの?

昨日はネットの調子が悪く更新できず。

8:30起床
9:00出社
21:30帰宅

帰りがけに本屋でまた公務員試験の本を開く。地方上級はキャリア組じゃないそうだ。やっぱり特別区かなー、などと思いはじめると心がぐらぐらと揺らぐ。よくない。今日は思い切って早く帰ってきたというのに。

小谷美紗子の新しいアルバムがアマゾンから届いていた。

人からなにを言われても動じない人間になりたい、というと大げさだけど、人の評価にまどわされない自分でいたい。

ひますぎるひますぎる

昨日の夜からの続き

19:00 あまりにヒマすぎてpyaをかたっぱしから見ていく
0:00 同期が部屋にやってくる、とりあえず酒を買ってきて呑み始める
2:00 別の同期の部屋に行く、「塊魂」をまたやる
3:00 寝る
10:00 起きる、また同期の部屋に行ってまったりといいともを見る
14:00 美術館に行こうと思ってひとりで水戸へ出発。途中で記帳したらグーグルから広告料45円が振り込まれていた。雀の涙だ。
15:00 美術館着。近代美術館なのに現代っぽい展示をやっていた。山口勝弘という人の実験的な作品を集めたもの。ガラスを使って見る角度によっていろいろな表情を見せる「ヴィトリーヌ」という作品群や、アクリル板をグニャグニャに折り曲げて天井からつるしてみたりアーチにモニターがはめこまれていたり……。メディアアートの先駆、というのがキャッチコピーのようです。
16:00 水戸周辺散策。小森陽一の春樹論など三冊買う。水戸のLIVINに入っている本屋には新風舎文庫が置いてあった。FRESHNESS BURGERで買った本をぱらぱらめくる至福の時。

060514_1720

↑水戸の空をカシャリ

18:00 水戸を出る。
19:00 鹿島つく。

***

とりあえず今日はこんなところで。

駿台の先生はやっぱりエラいのだ

12時 起床
13時 鳥良で同期二人とともに昼ご飯を食べる。食べきれなかった。
14時 一人はゴルフの打ちっ放しに行ったので残った二人でTSUTAYA→Wander GOOという北関東暇人黄金ルート。公務員試験の本など見てみるが予算期はやっぱり忙しいようで「今とカワンネ」という結論に至る。
16時 近所に「SODA CAFE」なるものを発見し行ってみる。キャラメルカプチーノとフライドポテトを楽しむ。非常に家庭的なカフェだった。値段も良心的なのでまた行ってみたい。新たな読書スペースになりそうだ。二階が塾を経営していて、ときどき地元の中学生がわきの階段を上っていくのが見えた。雨なのに大変だ。

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表三郎さんです。ぼくは初めて聞く名前でしたが、西では有名な方のようです。伊藤和夫の系譜に名を連ねる人ではあるようです。

で、上の二冊を今日は平らげました。「書く」ということ、「書き続ける」ということに大きく勇気をくれる本です。『日記の魔力』によれば、日記とはかくものである以上に読み返すものだということです。これはぼくにとっては自明のことで、こうやってブログを書き始める前——つまり中学高校時代にはノートに日記をつけていたのですが、書くことがないときには昔書いたものとか去年の同じ日付の記事とかをを読み返しては赤ペンで「自己批判」をするなんてことをよくやっていました。けっこうこれは甘美な時間です。自分の過去が未来につながっていく感覚が立ち上がってくるのです。

大学に入ってからは自己顕示欲に負けて秘密のノートよりもホームページやブログに移行したわけですが、そういえば読み返すということを最近やっていないように思います。書くことばかりに意識が行ってしまい、いきおい断片的な記録になりがち・・・それはつまり日常が断片化するということです、日記を書くものにとっては。過去から未来へつながる一点すなはち今日という日をまったく独立させて書き記すということは間接的には自己否定っていうことですからね。

とりあえず『日記の魔力』にならってまず冒頭に客観的な事実を書き記す(これは純粋に自分のため。ネット上に公開する必然性はないものですが…)。それに対する未来のヴィジョンを書く(今度からはこうしよう)。で、改行して内省(内省を本書では批判していますがぼくはぐじぐじぐずぐすだらだらしょーもないことを書くのも必要な時間です)。こんなスタイルでブログを続けていこうと思います。疲れて帰ってきたときは客観的事実のみを書き記しておくだけにするとかね。そうすれば毎日更新という当初の目的(これは某社長本にのっとってのことですが)を果たせそうです。今週はほんとに毎日十時帰りだったもので…。

『答えが見つかるまで考え抜く技術』は大学時代から読もうかなどうしようかなと思っていた本なのですが、装丁が野暮なので買わずにいました。別ルートで『日記の魔力』を知って、そういえばこの著者は…と思ったら再会した書名でした。「お子様ランチはデザートから食べろ」が出色。本屋で立ち読みするならこの章だけでも見てみてください。やっぱり予備校の先生って独特の熱があっていいね、それが全共闘的なものであったとしても。

こういう本を作りたい

そうそう、そういえば聞いたことがありました、七尾藍佳さんのラジオ番組。この本は彼女の素直な散文集です。ラジオDJになるまでの紆余曲折、あるいはその折々に感じたことや考えたこと、短編小説……いい意味で素人くさい文体で言いたいことを言っていくスタイルに好感が持てます。装丁も活字が緑色で見やすい。自分もこんな本を出せたらステキだなー、と思ってしまう一冊でした。

休筆

やっと帰ってきた。年度が変わるので仕事がいつもより多いのです。とりあえず今週は最後の三人になるまで帰らない、をモットーに行こうと思います。

昨日はあれから『対岸の彼女』を読破し、プロの書く小説ってこういうのを言うんだとあらためて「小説家」のすごさを思い知らされました。物語の力ってやっぱりあるんだと思う。いきおい純文学って話を筋を否定しがちなんだけど、それはぜんぜん次元を異にしなくちゃいけないことだと思った。いい小説を読むと自分も書きたくなります。

さてと、お風呂に入ってまた新しい小説でも読みながら今日も眠りにつこうと思います。いまは「シュウカツ」脱稿後の戦士の休息と決め込みました。いい小説を読んでよくよく滋養としたいと思います。

答えではなく考え方を

遅ればせながら角田光代の直木賞受賞作『対岸の彼女』を読んでいる。

きっと、自分がいま悩んでいることにヒントを与えてくれる小説はあるはずだ、と思った。これもその一つになりそうです。

仕事がすべてを解決してくれるわけではないし、それは恋愛や結婚に対して過剰な期待をしてはいけないという自明の理にもつながるような。それでも生きて行かなくちゃならない、たんにご飯のためじゃなくて。

同期とお好み焼きつつきながら「仕事辞めてバイトしてえ」とか言っていたら後輩から就職が決まったというメールが来た連休最後の夜でした。

明日はちょっと早めに会社に行こう。

がんばれ。

疑似退職としてのゴールデンウィーク

大森南朋が好きなので、見てみた映画。

30歳を目前に映画を撮りたいと言って会社を辞めた主人公が一向に映画を撮らずにぶらぶらして「俺の生まれた意味ってなんだろう?」とドツボにはまっていく、というストーリーです。ぼくにとってはもしかしたら待っているのかもしれない未来、です。ほんとうに大森さん、だめだめな男を演じて見せてくれます。

それにしても「もしも会社を辞めたなら…」という空想に耽るまでもなく、このゴールデンウィークというのは擬似的に退職生活を味わわせてくれる期間でもあると今更ながら思います。会社を辞めたらあれやろう、これやろう、なんて言い訳は通用しません。この休み中に行ったことすなわちそれがあんたの退職後の生活と一致するのです。これ、現実というもの。

最近は本当に自己肯定から遠ざかっていたずらにニヒリズムにおちいっているのですが、ときどき三島を読んでかれの戦いぶりに思いを馳せたりしつつ、後に続かない小説の冒頭を何種類も書き散らしたりして暮らしておりました。けっこう、危機的状況です。なんて言っている内はだいじょうぶだと思うのですが、でもやっぱりあと何十年もこんな生活を続けなくちゃいけないのかと思うとゾッとします。

リクナビネクストをのぞいてみたり、公務員試験の日程を調べてみたり、まあそれははっきりいって本気というのはほど遠いものなのだけれど、転職活動に使うエネルギーがあるんだったらもっと他のことやってるんだろうし。

きゅーきょくにめんどくさがりになっているんです。

やることがないのです。

やるべきことがないのです。

志も使命感も、どこかへ飛んで消えてしまったのです。

体を動かすということが、どんなにちいさなことでも、たとえばコンビニにご飯を買いに行くとか、お風呂に入ってからビールを買って飲むとか、そういうすことすらめんどうくさくて、ただただブラウン管をながめているだけ。それが昨日の夜。まずいなーって思った。

あれを思い出した、岡真史の詩。

「ひとり ただくずされるのを まつだけ」

っていう、彼は十二歳にして投身自殺をしたんだけどさ。それにくらべたらちゃんちゃらおかしいぜ、ぼくの人生。才能を金で補う資本主義。あんまりほめられたもんじゃないよ。

グーグルの広告を追加!

これって、日記の内容に連動して広告が変わるんですね…

このまえゲンカケイサンがどーたらと書いたのでなんか見積もりの広告が…あ、こんなことを書くとさらに反応されてしまううのかも。