月別アーカイブ: 2006年2月

戦いの夜

北野武監督『菊次郎の夏』を見ました。

この映画に出てくる大人たちはみんな自由です、と書いたところで、おいおいあんたの言っている「自由」ってなんなのさ、という声が頭の中で響いた。この映画の本質とはぜんぜん別のところにある問題なのかもしれないけれど。

妻に食わせてもらっている菊次郎、全国をバンでうろうろする小説家志望の男、ハーレー乗り、任侠……。彼らは自分の時間の中で生きています。こういう言い方をしたときに必然的に対比されるのはサラリーマン。可処分所得と引き替えに時間を切り売る。金の自由か、時間の自由か。でもそう並べたときにはっとする。一体こいつらは選択肢として等値なのか?

明日の不安に時間を費やしたくない。日曜日の夜、強く思う。絶対値としての時間と感覚としての時間とが乖離する。不安だ。不安で仕方がない。けれどその不安が、もしも明日の食べ物に関わるものだったとしたら? 一体、時間と金とはどちらか一方さえ満たされればいいものなのだろうか? 考えて答えの出るようなものじゃない。かといって数学の問題のように「いちぬけた」で無関心を気取るわけにもいかない、それは一つの境遇だから。

最近連載されている朝日新聞のニートに関する記事を読んでいても思う。なんと人生とは自分で選ぶことのできるものの少ないことかと。さっきやっていた南米移住者のドキュメントを見ても思った。

と、とりあえず書いてみたんだけどいくらでも反駁できてしまう箇所ばっかりなのでこれ以上書き続けることを断念します。不快だし、こういうの、自分でこんな時間につづっていても。むちゃくちゃ。頭が働かない。切れが悪い。頭が悪い。

もう何度も引用した吉本ばなな『キッチン』からの一節をもう一度書いておきます。

なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ご飯を作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。
 ……今夜も闇が深くて息が苦しい。とことん滅入った重い眠りを、それぞれが戦う夜。

小谷美紗子「眠りのうた」でも聴きながら、おやすみなさい。

これから寝るんだけど

会社にいると夕方とかものすごく眠いんです。あれ欲しいんだよ、なんか睡眠を妨げる薬って最近あるじゃない。でも薬局に行く時間がないんだよな。コーヒーを一日4杯も飲んでいるとホントにそのうち腎臓とかやられそうでコワイ。

昨日の夜は同期と二人で転職について喧々囂々やったんだけど、けっきょく結論は「現実から目をそむけているだけだあ!」というところに。血迷ってアマゾンで買った下の本は、まあとりあえず読みます。

健康的に病んでいる、と思います。最近の自分は。

現在に過去をよみがえらせたい

『SEの読書術』を読みました。


文学畑の長いぼくにとっては「読書術」と言えばやっぱりいかにして古典に近づくか、とかどの小説を読むべきか、とかいう話ばかりになりがちなのですが、現役SEの方々に取材したこの本に出てくる読書術は非常に実践的で明快。「JavaのVM」だとか技術的な細かいテクニカルタームはよくわからなかったのですが、充分に普段の生活に取り入れることのできる内容を持っています。

どちらかというと技術系の本は、内容をおぼえるんじゃなくて、その内容にたどりつくための検索方法をおぼえるようにしています。(後藤大地氏)

これなんかは普段の仕事でも使えそう。会社で使っている使っている経理のシステムにはけっこうひと癖ふた癖あって歴代の担当者による手作りマニュアルがあるんですが、会社に入った頃はマニュアルを見ないで仕事をやれるようになることを勝手にぼくは目指していました。でも「マニュアルを見ながらでいいから間違いなくやれることの方が大事だ」と先輩に言われて考え方が変わりました。大事なのは、ある業務をしているときにそのマニュアルの中から必要な情報をいかに素早く取り出せるか、ということ。付箋とか赤ペンなんていう原始的なツールがけっこう役に立つのは言うまでもありません。

開発っていっても、「動けばいい」っていうものではなくて、設計にしても、実際、コードを書くにしても、見た目はわかりやすいインターフェースを作るにしても、きれいなものっていうのは使いやすくて長持ちする。複雑なものっていうのは長持ちしない。それはもう決まっているんです。(荒井玲子氏)

このように言う荒井氏は白州正子の『日本のたくみ』を紹介します。意外とSEには文学的感性が必要なのか? 他のインタビュイーにも『知的生活の方法』や『荘子』、ソシュールまで引き合いに出す方がいたりして新鮮でした。高い壁の向こう側にいる人が自分と同じものを見ていたという安心感。高度な専門的知識や技術を必要とされるSEも文学を必要としているんだという発見。例によって大げさですが。

自分が経理に配属されて未だにぜんぜん興味がわかず、文学的混沌(もちろんそれは一面的な誤読ですが)に後戻りしたい! という幼稚な甘えをぬぐい去るためにも、ちったあSE的な涼しい風を頭の中に送り込みたい。うーん、もしかしたらぼくの頭の中は大学の四年間でだいぶなまっちまったようです。受験生だったときの必死さ。あれをとりもどしたい。過去に閉じこもるんじゃなくて、現在に過去をよみがえらせたい。そう思います。