月別アーカイブ: 2006年1月

なんでもないようなことが……

当ブログの編集画面には「どんな事が起きても、さくさく動くブログ」というスローガンが掲げられております。ライブドアも大変だにー。日本中をばかしたホリエモンはやっぱりすげえと思うわ。

本題。っていうほどのものじゃないけど。

何度か主張しておりますが、作家の唯川恵が好きです、中学の頃から。正直、こんなことを言う男はなかなかいないでしょう。でもエッセイがとても好きなのです。なんというか、だめだめな自分でも認めてやろうよっていう姿勢がひしひしと伝わってくるのです。

OL時代に小説を書き始めた頃のことを唯川さんは以下のように書いています(『明日に一歩踏み出すために』PHP文庫 1999)。

 たとえ書いていても、どこの新人賞にもひっかからず、無駄なことになってしまうかもしれない。けれど、それで構わないと思っていました。どうせ書かなくたって、毎日、無駄な時間を過ごしていたのです。私は書くことに熱中しました。〈中略〉
 この「書く」ことと「書かない」こととの差は、ほんのちょっとのようだけれどものすごく違うということが今、よくわかります。白と黒、無と有、の差があります。あの時、もし書いていなかったら、と思うと私はうそ寒くなったりします。

まあ、読む人が読めばなんてことはない一節なのかもしれません。でも、こういうの、大事にしたい。「どうせ書かなくたって、毎日、無駄な時間を過ごしていたのです」というのがもう、まさに今の自分のようで身が引き締まります。毎週毎週無為に土日を過ごしていくのが積もり積もったあとの祭りが恐ろしかったりします。どういうつもりで生きているのか、その辺のところ、最近忙しさに負けていますよ! 自分。

ヴィレッジバンガード@成田

最近、同期とよく成田まで買い物に行きます。ぼくは以前は水戸派だったのですが成田もなかなか買い物のできるよいところです。

で、ぼくのお目当てはイオン成田店の中にあるヴィレッジバンガード。商品として並べられている本はぼくの本棚とけっこう同じラインナップになっているのでとても居心地がよいです。魚喃キリコとか岡崎京子とか村上春樹とかハチクロとか……まあ、その手のものですね。昨日は高野文子『黄色い本』にひっかけて売られていた『チボー家のジャック』を購入。

やっぱりいいですね、函入りの本は。飾っておくには最適です…って、それじゃだめです。最近は小説を買っても読み切れなくて、あるいはばーっとぱらぱらめくって終わりにしてしまったりしているので、チボーとはじっくり向かい合いたいと思います。?外よろしく「わが学問はすさみぬ」とか言ってる場合じゃございません。

同期は元Cymbalsのボーカル土岐麻子のアルバム(これもいろんなところでいい評判を聞きます)を購入。

帰りの車の中ではまったりこいつを聞きながら帰りました。「リキッドな声」というのはこういうのを言うらしいです。シンバルスは中学の頃NHKFMの番組でよく耳にしていました。解散後のベスト盤も借りてきて聴いた覚えがあるし、それなりにチェックしていたのですが、こういう解散したあとのミュージシャンが新しい活動をしているのに触れられるというのは(あれっ、ここ最近こういう話が多いですね)幸福なことです。

ああ、無くなってしまったのか

昨年末からいくつかの出版社に原稿を送っているのですが、レスポンスがありました。いずれも没通知ですが、返答があるということ自体がとてもうれしいものでした。

一社はすでに会社をたたんでしまっていたということで(実は何かにつけてぼくが引用する『生と自己とスタイルと』の出版元です。。。悲しい)受け付けられないとのこと。それでも「ネット上で地道にファンを作っていってください」というような言葉をいただきました。ありがとうございます、ありがとう、ぼくはこの出版社の名を一生忘れません。

もう一社からはアドバイスをいただくことができました。まとめると以下のような感じです。

・自分探しから脱し切れていない
・プロになりたきゃわかりやすく書け
・ネタをつかむため現実に帰る時期だ

いずれも自覚があるだけに、文章ってやっぱり正直なんだと感じさせられました。ぼくのエッセイって観念のお遊びなんですよね、要は。「玉砕」と評せられた卒論もそうでした。歯止めがきかないで、どんどん遊離して100枚書いてしまう。そこには読者って不在なんですよ。プロになりたきゃそれじゃだめなんですわ。

おそれずにいただいたメールを印刷して貼っておきます。

おそれずに他の出版社にもいろいろ送ってみます、これからも。小説の新人賞だけにこだわる必要はないですね、それから逃げ道としての自費出版にどれほどの価値があるのかも考え直さないといけない。とにかく扉を叩いてみる。叩き続けてみる。なにせたくさんありますから、出版社は。それだけでも人生を生きる価値はあるように思いました。

「私もがんばろう」と思えること

「私もがんばろう」と思えることって実はすごいことだと思う。自分以外のだれかが一生懸命な姿を見てどう反応するかっていうのは、けっこう人間くさい問題だと思うよ。自分の話をすれば、きっと「けっ」とか言いながら裏でこっそりうらやんだりするんだろうさ。そうじゃなくて純粋に、ただ純粋にすごいってと思うこと、あるいはそう思わせてくれる人に(間接的にでも)出会うことってある種の奇跡だと思う。

ぜんぜん知らない人なんだけれど、どうしても毎日ブログが更新されているかどうか気になってチェックする人が何人かいます。彼らはそれぞれに楽器とか研究とか文章とか自分が目指すべき道を持っていて、その葛藤や努力の様をこれまでほぼリアルタイムに文章を通じて共有してきた。継続的にある一人物の紡ぐ文章を読み続けるということはぼくにとってすごく意味のあることで、昨日の飯塚朝美さんについてもそうなんだけど、一つのことを深めていくプロセスがおろそかにされがちな時代の中で一つのことにこだわっていく人間(の書いた文章)に触れていくことがとても刺激になるのです。

そう、そういうとき、自分もがんばらなくちゃなあ、と思います。

あきらめない。

だらけない。

流されない。

そうやってもっともっと原理的に生きたいよ。

ミゼリコード、そして

書きたいこととか、あるいは言葉にすることで楽になりそうな内容のものとか、いろいろあるのだけれど(あると思っているのだけれど)、なんにも言葉が浮かばない。って、いつもならすらすらときれいな文章をものせるみたいな言い方だけど決してそんなことはなく。

飯塚朝美「二重螺旋のエチカ」を読む。
ぼくがまだ高校生の時でした。文學界という雑誌に彼女の作品が新人賞の佳作として載ったのは。衝撃でした。なぜって、彼女もまた同じ高校生だったから。まだまだ綿矢りさも出てなくて、その時は平野啓一郎張りの擬古文体が印象的だったのをよくおぼえています。今回、日芸の文芸誌「江古田文学」で賞を取ったようで、初めて彼女が大学生になってからも宗教という同じテーマで小説を書き続けているということを知りました。すごい。すごい、と思う。

さて、ぼくは・・・・・・

やばいぞ残業が 生きるってことはタイヘンだ

今年に入ってから一度も23時以前に帰っていません。おとといは1時半で、さすがに昨日は体がおかしかった。妙な吐き気とか妙な腹痛とか。

先輩に聞いてみました。
「こんなん、いつまで続くんですかあ?」
「おまえ、まだ始まってないよ」
「……」

まさにorzとはこのことです。

明日も出勤。今日だけなんとか休みを確保しました。でも今日も行っている人はいるし、明日もぼくのために出てきてくれる人がいるので文句ばっかり言ってられません。

しかし一方で同じ先輩から「おまえ入社した頃は『なんでこんなことやんなくちゃいけないんですかー!』とか言ってたのに、なにこんな長いエラーリスト全部つぶそうとしているんだ。完全に丸め込まれてるぞ。おかしいと思ったらおかしいと言え」と言われ、わーそうなんだー、おれってそういう風に見えるんだー、とちょっとショックでした。だんだんどんな難題ふっかけられても「仕事だから」という大義名分の元に無理してしまうんですよね、それが残業時間になってしまっているぼくはほんとうにまだまだひよっこサラリーマンというわけです。

ふと会社に着いた朝とかに思います。感情があるからつらいんだ、と。自分を機械なんだと思ってパソコンに向かっている方がよけいなこと考えずにすみます。それはなにかに負けたんじゃなくてそうしないとやってられないという防衛本能だと思いますよ、痛みを和らげるための。人間ってけっこう強いもんですよ。でもこれを読んだ人はやっぱり「しゃもぢも変わっちゃったなー」とか思うんだろうなあ。自分でも感じますもん、自分がいかにサラリーマンというものをなめていたかっていうのが。それがとんでもない思いこみだったってことを体で感じていますもん。そりゃあ考え方も変わりますよ、変えざるを得ないですよ。

一体人生哲学っていうのはなんにのもないところにあらかじめイデアとしてあってそれを金科玉条としなくちゃいけないのか、それとも自分の人生や生活の中から昇華されたものとしてあとからついてくるのかというと、たぶん両方のバランスなんだと思います。あんまりも人生をさぼりすぎていたぼくは頭の中だけでこねくりまわして理想論にばかり走っていたのだと思います(それはそれで面白いんだけどね、卒論みたいに)。それはやっぱり生活人(これは比喩)からすると砂の城、どんなに立派なことを言ったって「金を稼いで飯を食う」という大原則(もちろん大原則が通じない人はたくさんいますが私は庶民です)の前にはもろく崩れ去るもんです。太宰もそんなこと言ってなかったっけ。

でも具体的に会社生活からなにか学べていますか、小説のネタになるような具体的な問題意識をあなたはこの半年で得られましたか、と問われれば「ただただ、そんな余裕もなく流れすぎています」としか答えられない。

就職活動の時に本当にいろんな人からよく聞かれたのが「本当に仕事がつらいときにそれでもがんばれる理由って持っていますか」という質問。「なに言ってるんですか、仕事なんてできますから!」と、まったく苦労知らずの人生を送ってきたぼくは幼稚な全能感丸出しで答えていたんですが今になってあの質問の意味をかみしめています。じつに答えずらい。なんて答えます? 金? じゃあバイトでいいじゃん。なんで社員? 仕事とバイトの違いって? ほら、これも聞かれた。これが会社生活で誰もがくぐらなくちゃいけない門なんだろうなー。

でもたぶんこれは答えを選べる問題ではなくて問題を解いていくそのプロセス自体が答えなんだ、ということなのでしょう。またしゃもぢの詭弁が炸裂している感も否めないですが(笑) でも本当にそうだと思いますよ。答えがなければ解くしかないんですから、それを肯定してあげなくちゃ。

最近は下のCDを借りてきてよく聴いています。


テレビで昔の映像とか流れているとバックにその時流行った曲とかかかってるじゃないですか。ああいうのぼーっと眺めているの好きなんですよね。全共闘とかわくわくしますよね。とか言っているぼくを誰か精神分析してやってください。

キツネとシーラカンス

シイラというブラウザを導入してみた。なんとこれはOSXの10.3.9以降でないと対応していない! かなり時代の先端を行ってしまっている感じです。

いい機会なので半日かけてOSXをアップデート(こういうときAir-H”は弱い。もう光を引いちまってもいいんだけどさ)して、さっそくシイラをダウンロードしてみました。で、これなかなか使い勝手がよいです。SafariとFirefoxのいいとこをそれぞれつなぎ合わせた感じです。というか、Safariをもう少し使いやすくしたような感じです。

具体的になにがと言われると難しいんですが、こころなしか読み込みが速いところとか(JAVAとかの時けっこうブラウザによって差がありますよね)、アイコンのデザインとか、PDF保存したときの形式とか。あとこの前Firefoxをアップデートしたら前はちゃんと見えていたものが見えなくなっちゃったりしていたんで(右端の文字が切れたりする。なんでや!)乗り換えたいと思っていたのです。

CaminoやらOperaやらも試してきましたがここにいたってシイラ、なかなかおすすめです。

以下日記****************

昨日は同期と焼肉に行って一人で日本酒を二合あけてそのあとレイクサイドマーダーケースをDVDで見て(「ユリイカ」の印象が強いので青山真治監督のこういうたまの娯楽作? にはなんかハシゴをはずされた感じがします、見ていると。「エリエリ~」はちょっと期待できるのか、宮崎あおいだし)、ぐーすか寝ました。

なんかもう、休みの日の過ごし方が場当たり的でよくない気がする。夕方になるとどうしようもなく気が沈むし。大学の時みたいに、そういう気分を酒と音楽で演出するなんて余裕すらなくなっています。なんとかしてよ。

なんと雪が降る

この三日間は仕事しました。毎日十一時でした。室で一番最後でした。昨日なんか雪降っちゃったからみんな早く帰っちゃって、建物で一番最後でした。振り向いたら三階までぜーんぶ明かりが消えてんじゃねーか! まあ、ぼくのやり方にも問題があるので何とも言えませんが……たとえて言えば時速10キロと時速20キロの平均を出すのに(10+20)/2なんてことを平気でやってのけ、あとで「これちげーよ!」ということに気づいてまたやり直し、というようなことを朝九時から働きづめの夜十時とかにやっていたら気が狂いますわ。

それにしてもそうなんです。雪が降ったんです。この海沿いの鹿島でです。

060108_1010~01

地元採用の女性社員の方は「幼稚園以来だわ」とおっしゃっていました。んっ、じゃあ何年ぶりくらいなのかな……ということはさておき、かなり交通マヒだったみたいです(早出していたぼくはなんとかまぬかれたんですが)。雪が降らないとみんなが思っている車社会の地域で雪が降るっていうのはやっぱりタイヘンなことです。

初アップ

短編小説「カルテット」、本家にアップしました。かなり、というかだいぶモデル小説です。勝手に名前やキャラを拝借した人物や団体にのみなさま、もーしわけないです!

明日から会社だなんて信じられません。信じたくありません。