大阪初上陸

今日は九時の新幹線に乗り大阪までやって参りました。明日が入社式なのですが、その前のオリエンテーションと英語の試験を今日はやりました、というかやらされました、……いや、やっぱりここは「やりました」と書いて能動性を強調しておこう。最初だからね。最初は肝心だからね。

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今はこのせっまいホテルからの更新です。エアエッジにしてよかったなあ。さっきまで団体行動を強いられていたのに急に部屋で一人になるとなんだかそわそわしますね。なんて、率直な感想を述べて今日はこんなところで。


雨の都庁~事務手続きはお早めに

今日は一日中歩いていたような気がします。みなさん、事務手続きは早め早めに済ませましょう。そんな教訓を今日は身をもって感じました。

まず、地元の市役所出張窓口で転出届の手続き。そして学校へ。

御茶ノ水駅で31日に上阪(って言い方するのかな?)するのに必要な新幹線の切符を買う(生まれて初めて新幹線の切符なんて買った。自動券売機で簡単に買えるんですね)。

学校につくと、会社に提出する成績証明書と卒業証明書を発行。生協の退会手続きをして供託金16000円ゲット。ついでに教員免状の申請について事務室のお姉さんに聞いてみると都の教育委員会に聞いてくれとのこと。

ネットで教育委員会の電話番号を調べて電話してみると都庁に来てくれとのこと。

新宿へ戻り、十年ぶりくらいに都庁へ(今の都庁が出来たばかりの頃に父親に展望台へ連れて行ってもらったことがあります、なつかしーい)。指定された階へ行ってみると大学生っぽい人がうじゃうじゃ。みんな申請しにきているんですね。で、書類をもらう。見ると大学で単位認定の書類を作成してもらわなければいけない。しかも申請は本人じゃないと受け付けてもらえない……って、四月に入ったら私、東京にいませんから~!

急いで御茶ノ水へ戻る。学校へ行ってまた事務室のお姉さんに単位認定の書類がどれくらいで出来るかと聞いてみたら

「あ~、一週間はかかりますねえ」

……

……アウト、です。

提出書類に必要な自分の印鑑を持っていなかったので残念ながら今日は一旦家に引き返しました。また明日行って提出してきます。大学からは郵送も可とのことだったので寮に送ってもらって、機会を見て東京に出てきたときにまた都庁に申請しに行ってくるということにします。あ~、もう少し早め早めに手を打っておけばこんなことにはならなかったのに。

みなさまも事務手続きはお早めにね。

帰りには以下の本を購入。

難病のためわずか25歳で逝ったある女性の日記として最近話題(という表現は実に軽薄で嫌ですが)の『1リットルの涙』。『卒業式まで死にません』『二十歳の原点』と並んで、どうもこの手の本にはぼくは弱いです。


1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記

それから「ユリイカ」四月号でブログ特集をしていたのでこれもチョイス。この雑誌も最近方向性が見えないよ……詩の雑誌なんですが、元来は。まあでも文学とブログの関係について考えるのにいい記事が載っていればとの期待をこめて。パラパラと見たら「悪あが記」も紹介されていました。書籍版は明日発売ですね、今日は残念ながらまだ売っていませんでした。


『ユリイカ』2005年4月号特集*ブログ作法

あー、足が棒のようだわ。さっさと寝ます。


卒業しました~ある恐怖と誓い

式には大江健三郎氏が来賓として来られ、どんな堅物なんだろうと内心思っていたらかなり笑いを取り入れた、かつためになる話をされて、非常に面白かったです。やっぱり根は文学をやっている人間なんだなあ、という感じがしました。すこしまた読んでみようかな。

卒業式の後は13:00から22:00まで飲んでいました(さっき帰ってきて、これを書いたら寝るつもりです)。しゃべっていると時間が経つのは早いものです。今日初めて互いを認識して喋ったのに、もうたぶん会えないだろうという人も沢山いました。学科の飲み会とか行事に、ほんとに初めて参加する形だったので、ぼくは。自分の人付き合いの悪さを今日はちょっと後悔しました。

長い目で見ればあらゆる出会いと別れはほんのささいな出来事なのかもしれません。そこでささいだからこそ大事にしようと思うか、ささいなことにかかずらってられないと表面的にスルーしてしまうかには、価値観の違いでは片付けられない懸隔があるように思います。

映画は細部がモノを言う、とよく言いますけど、生きていくことにもたぶん同じことが言えると思う。ぼくのようにささいなことを大切にできない人は、きっと後悔する。自分が後生大事に守ろうとしているものなんかより、ずっともっと大切なものがあるということをきっと見逃すと思う。

そのことが、すごくこわい。こわいと思った。

もし大学で学んだことを一つ上げよ、と言われたら、この恐怖だけはもう味わいたくないという強い確信です。一つ一つの出来事、一つ一つの関係を、これからはもっと大切にしたいと思います。

もう入社式はすぐそこ。しっかりけじめをつけて、他ならぬ文学部を出たということを誇りにできるような人間として社会に関わっていきたいと思います。

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ありがとうさようなら、東京大学。


本家更新通知

「Capacity of “STYLE”」の方に新しいテキストをアップしました。

「かつての敵に共感するとき人は強くなると信じたい」

創作っぽいものはブログに向かないので本家の方にアップすることにします。ここでも上のように通知して行くというカタチにしたいと思います。ゆっくりと、自分が何を書きたいのかを見極めていきたい。

自分の内面を吐露したい季節、真実なんてどうでもいいやとナンセンスな創作を書きたくなる季節、自分の醜さを隠蔽するためにわざと意味の過剰を装いたくなる季節……。色々です。でもなんとか誠実にやっていきたい。そんな大それたことではないのだけれど、小さいところに幸せはきっと宿るはずだから。


AIR-EDGE開通!

ビックカメラに行って申し込んできました。先週末にテレ東のニュース番組でWILLCOMの特集をしていたのを見たことも心理的には影響を与えたことでありましょう……。

これで回線依存することなくどこでもつなぎ放題でネットができます。ネット依存へまっしぐらです。まあ、速度はダイヤルアップとどっこいどっこいですけどね。

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こんな感じ。USBの差し込み口がもう足りません……。


ブログを毎日書いていて思うのは

今月は今日まで一日も書かさずエントリーを続けていますが、もう中盤あたりからは意地で書いているようなものです。それで気づいたのは、どうやら自分はなんだかんだ言ってある程度の長さのものでも、毎日書こうと思えば書けてしまうということ。これはいい意味で言っているのではありません。

公の場に毎日何かを書く綴る(綴らなければならない)ということは思った以上に精神的な負担になります。毎日同じ調子で頭の中から書く内容が出てくればいいのですが、前日の夜に書いたものを午前中にアップすることもあれば、一日中書くことが思いつかず夜になって無理矢理ひねり出したものをあわててアップしたり、朝から絶好調ですらすら書けてその日のうちにアップすることもあります。

また、生活そのものがネタ探し・ネタ作りになってしまい何か一つのことを深めるという縦のベクトルよりも、何か新しいことを次から次へと探し求める横のベクトルばかりが強調されてしまいます。これを苦痛に感じない人も世の中にはいるようなのですが、ぼくはどうも疲れてしまいました。もともと保守的な人間なので、時代の流れに抗して自分は一体どこで立ち止まるべきかということを常に気にしているのです。

話は横道にそれますがこれはすぐれてネット的な現象だと思います。「ネットマイニング=採鉱」(これは今思いついたぼくの勝手な造語ですが)ではなく「ネットサーフィン=滑走」という言葉の方がしっくりくるのも、作業としてのブラウジングが物事を深めるといういことになかなか適さないことを物語っているように思います。

話を戻すと、不本意で書いたものをアップするとすぐに見えないところにやってしまいたくて、次のエントリーを無理にでも書かざるを得なくなります。いつまでもページを開いた一番目立つところに駄文をさらしておきたくないですから。けれど臭いものにふたをしようとあわてて書いたものは当然、以前に書いたことと同じようなことを薄めたような内容になってしまいます。それはやっぱり不本意だからまた無理して書いてしまう……。

ちょっとそんな悪循環に陥っていたのでやっぱり無理して書くのはやめることにしました。質はともかく、ある程度の長さのものは書こうと思えば毎日書けてしまう。けれどそれは何かを書いて誰かに伝えたいという思いがなせる業ではなく、単なる惰性とちょっとした情報収集でできてしまうんですね、どうやら。それが楽しいという人もいると思うのですが(そういう情報編集型のブログは世の中に沢山あるし、沢山のアクセスを得ていると思います)、ぼくのやりたいことではなかったはず。それは「『オンリー・論理』と戦う方法」でも書いたことです。

ブログを書くとはどういうことなのか、ということについて個人が言っていることをいろいろと検索して、最近勉強していたのですが(本屋にもいろいろブログ関係の本が売っていますけどほとんどが技術論で、精神論的なものってほとんどない。これはパソコン関係の本に関しては全般的に言えるのだけれど)、やっぱり誰もが至る結論は次の二点に集約されます。

1, 自分の負担にならない程度に

2, 少しずつでもいいからいいから続けること

続けることでしか先に進むことはできない。続けることでしか新しい展開を生み出すことはできない。続けることでしか、たとえば新しい自分を発見することはできない。自己満足はいろいろと非難の矢面に立たされがちですけれど、まず書いている自分を楽しませられなくてなんのための個人サイトか。自己満足はおそらく書き続けることにとって最低限の条件で、そこからしか物事は発展していかないんじゃないか、自分を深めることはできないんじゃないかという仮定は案外説得力を持っているのでは?

このエントリーを書くにあたって参照した記事へリンクしておきます(トラックバックなんて恐れ多くて……)。

 

 

 

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ブログペットというものを右の欄に追加してみました。あんまりウザかったらそのうち外すかもしれません。とりあえず様子見。パンダがふきだしでしゃべっている言葉はこのブログのテキストから無作為に選ばれているようです。ときどき「あれ、そんな言葉いつ書いたかなー」と思わせるものもあったり。ほとんど書き手のジコマン? いいえ、だからそれでいいんですって。


自分のオリジンをどこに置くか

22年間生きてきましたが、どの時代が一番充実していたかと問われればやっぱり受験生時代だったように思う。大学時代を終えるにあたって、この四年間を振り返るととにかく不毛に次ぐ不毛で、無駄なことばかりやって、時間を浪費してばかりいたことが悔やまれてしかたがありません。もちろん沢山の人に出会えたそのことはもっとも多とすべきなのですが、自分自身がその出会いを生かしきれなかったという思いもあります。

ひるがえって、受験生時代。あの頃は携帯電話も持っていなかった、インターネットも知らなかったし自分で買えるものも今よりずっと限られていたし、自由な時間もずっと少なかったはず。いろいろな今で今よりも不自由で不足で不機嫌な時代だった。

それでも今よりずっと生活に密度があったというか、一日が始まって終わるまでにいろいろな刺激(もちろん多くは知的な)を受けて、やりたいことが今日一日だけで終わらなくて眠る時間がもったいなかった。明日を待つ間がもどかしかった。

たぶんそれは、ぼくがまだいろいろなものに慣れていなくて、いろいろなものを真に受けすぎていたからだとも思う。けれどむしろぼくはその感覚をなくしたいとは思っていない。

子どもっぽさとは、子どもにとっては克服の対象だとしても、ある種の子どもっぽさは大人にとって自分を見つめるのにどうしても必要なものだといえよう。(霜栄「ブラームスはお好き?」『駿台式! 本当の勉強力』講談社現代新書,2001)

ぼくもそんな年齢に達したということか。

もちろんそれは時間の経過という魔法によって多分に美化されているのかもしれない。けれど、美化されているからこそそれは理想となるのだ。自分だけのオリジン。もし長い時間を費やして生きていくことにいくばくかの意味があるとすれば、それは自分が一番懸命に生きることができた時代を常に標準規として今の生活を評価できることだと思う。まだやれる、まだやれるはずだ、という確信があれば大抵のことは乗り越えられるだろうし、その余裕があること自体にかえって焦りを感じることもできる。たぶん、今のぼくはそんな状態なのだろう。

しつこいけれど、村上春樹『ノルウェイの森』に出てくる「永沢さん」の台詞。

「もちろん人生に対して恐怖を感じることはある。そんなのあたり前じゃないか。ただ俺はそういうのを前提条件としては認めない。自分の力を百パーセント発揮してやれるところまでやる。欲しいものはとるし、欲しくないものはとらない。そうやって生きていく。駄目だったら駄目になったところでまた考える。不公平な社会というのは逆に考えれば能力を発揮できる社会でもある」(村上春樹,前掲書)

この強烈な倫理観。単純なものほど強い。常に「永沢さん」のようにあることがどれだけ難しいかを、逆にぼくは体験しなければならないのかもしれない。


最近元気ないなー、自分。

目に見えてブログの更新が手抜きだもんね。なんかふわふわ浮いた感じで、なにをやるにもあんまり集中できません。ラジオ聞きながらテレビ見て、同時にパソコンを打ってたりしています。

やっぱり思い出すのは南条あやさんのことです。彼女の日記を読むと、卒業式の日を境に文章にパワーがなくなっているのが如実にわかります。別に自分を重ね合わせようなんて恐れ多いことはしないけれど、今になってちょっと気持がわかるような気もします。もっとも彼女は卒業した後の進路が決まっていなかったから、「不安」の種類がぼくとは雲泥の差だったとは思うのだけれど……たまには読みかえしてみようかな、『卒業式まで死にません』。


卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記

引っ越しのために家に置いていく本と寮に持っていく本とを仕分けています。それをやっていて気がつくのは自分が全く太宰治を読まなくなったことと、嫌いなふりをしていた村上春樹がけっこう好きだということと、三島由紀夫は小説よりも彼の道徳観が出ているエッセイの方が好きだということ。

要するに、作品が好きだからといって必ずしもその作家を好きになるとは限らないということ。その作家の生き方や倫理観に共感できても作品はあんまり……という場合もあるんじゃないかな。作品と作家とをいったん分けてみるという考え方は、もしかしたらもう少し本の選択を自由にしてくれるかもしれません。


引っ越しまで100マイル

ヤマト運輸に電話。30日に取りに来てくれるように予約できました。引っ越しシーズンだというのにさすがクロネコ。

ネットはAirH″にしようか本気で考え始めています。でもiBookなのでカードは挿せない…と思いきや、富士通からUSBタイプのものが出ていた。正直他に選択肢がないです…多少遅くてもつなぎ放題で月6000円くらいのプランがあるようなのでこれにするかも。

とりあえず入社式が大阪なので、短期出張用のカバンを今日は買いました。

日程としては
31日  大阪集合
01日  入社式
02日  鹿島へ移動
03日  日曜日
04日~ 集合研修
そんな感じ。


卒業できます

よかった、掲示板に名前がありました。記念撮影をしているヤカラまでいました。知っている友達の名前もみんなありましたし、おめでとうです。

これでやっと引っ越しの準備ができます。まずはクロネコに電話しなくては…。

久しぶりに携帯から更新でした。