投稿者「l32314」のアーカイブ

図解雑学『構造主義』『ポスト構造主義』

たぶんもう絶版だと思いますが、学生時代の肥やし再読キャンペーン続行中。

『構造主義』の方は、いろいろな入門書を読み漁る中で実は結構参考になった本だったりします。網羅的というか、教科書的な入門書があまりない中で、とっつきやすさは群を抜いていました。もう少し文芸評論に傾いた内容(プロップの神話の構造分析とか、グレマスとかはまったく名前すら出てこない)については自分で勉強するしかなかったんですが、それより手前の全体感をつかむには良かった。個人的に、予備校時代にニュー・アカ的な雰囲気も聞きかじった手前、大学に入ってから物語の構造分析に自分なりに手を染めたりもしたのですが、なんかこうあの当時の葛藤したあれこれは今でも自分の本の読み方の底流になっている気がします。

『ポスト構造主義』の方は社会人になってから出版された本で、同じ著者だったので買って読んだのですが、フェミニズムにも一章費やしていて、最初読んだ当時はやや「???」だったのでその後あまり読み返すこともなかったのですが、昨今は本当にこの手の話はラディカルな方にどんどん行っていますね。それ自体はとても良いことだと思っていますが、上野千鶴子のあと、今の学生たちはどんなふうに学んでいるんだろうか……。


ユニット折り紙 その4

「サボテン風模様」という。よく見ると分かるが、くぼんだ各頂点に向かってトゲのようなものが集中している。これが互いに干渉して非常に組み立てづらかった。このユニット折り紙全般に言えるのは、「1/3のところで折りましょう」という無理難題をさらっと指示してくるところ。すべて当て推量で折って微調整しているが、折り紙ってそういうもんだっけ? ひたすら疲れる・・・。

今日は最後の桜と、新緑を公園で楽しんできました。


ユニット折り紙 その3

一日一個が限界だ。上記は「リボンデザイン」。ユニットの一つ一つが凝った折り方になってくると30個同じ作業をするのが本当にしんどい。

糊付けしながら組み立てるとだいぶ角と角がぴっちり隙間なくなるようになった。ちょっとずつ上達。


ユニット折り紙

子供は折り紙が好きなのだが、よく売っている15cm四方の折り紙ばかり使う。親や親戚が送ってくる75mm四方の折り紙は小さくてほとんど使ってくれず、うん百枚単位で余りまくっているのでユニット折り紙の本を買ってきてせっせと小さい折り紙を折っている。

よくよく見るとアラばかり目立つが、二枚目、三枚目の写真の塊は一個作ると30枚の折り紙を消費する。子供も「お父さんスゴイ」と言ってくれるので一石二鳥、と思いたい……。


2021年の桜

なんかすごい文京区っぽい写真が撮れたな。

お花見はできませんが、みんな階段に座ってちょっと缶ビール飲みながら写真を撮っているのもそれはそれで今年の春という感じがします。


記録

さいきん色々仕事が忙しくて書く時間がありませんでした。思いつくことをダラダラと書いておきます。

・読書

『オペラ座の怪人』、アマゾンの洋書青空文庫みたいなのでようやく読破した。日本語訳も以前読んでいるはずなんだけど、やっぱり後半の「ペルシャ人の告白」の段がいまいちすっと入ってこない。ロイド・ウェバーの映画版を見すぎたせいでストーリーが頭の中で単純化されすぎているのかもしれない。日本語訳でも再読したほうがよいものだろうか・・・。

日本語青空文庫は夏目漱石を読破してどしようかとおもっていたところ、谷崎でも読もうかと思って『春琴抄』『刺青』『陰翳礼讃』『卍』まで来てさすがにお腹いっぱい。大谷崎はやっぱり腰を据えて文庫本で読みたいと改めて思いました。しかし(むかし卒論でもいろいろ書きましたが)本当によくこんな「筋」を思いつくものだと、その繊細かつ大胆な筆触(としか言いようがないのですが)に本当に驚き入ります。

・スマホ

私のスマホは古くて2.4GHZしか対応していないのですが、どうも家の中で使っている無線マウスやキーボードと干渉するようで、ぶちぶちワイファイが切れるとか自動で再接続されないとかでイライラしていたのが、ようやく原因がわかってあやうくスマホを買い換えようと思っていたところでした。わたしは電池を使わないといけないものというのが昔から嫌いで、やっぱり古臭くて保守的な自分にあっているのは昔ながらの有線なんだよなあとあらためて思い返しています。

・万年筆

ブルーブラックに変えてからプレジールのインクの出が悪くてこれもイライラ。

・音楽

UAが急に聞きたくなってベスト盤を買ってみた。youtubeに上がっているこれが神がかっていてとにかくすごい。


てれてれテレワーク

去年の夏に実家で発掘されたプラチナのスペアインク二箱のうち一箱をようやく使い切った。一箱で半年は持った。結構持つようでそんなもんか、という感じ。のこり一箱をまた夏くらいまでかかって使い切るのでしょうが、そのころは世の中はどんなになっているのかな。

ご多分に漏れず自宅での仕事が多くなったため、コーヒーは時短のインスタントになり、一方でコーヒーばかり飲んでいると気持ち悪くなるのでドンキホーテで1Kgのジャム状のお茶のもと(ゆず茶とかりんご茶みたいな甘いやつ)を買ってきてせっせとお湯に溶かして飲んだりもしている。

しかしそれ以上に酒量がかさんでいるが、飲み会がないと思うとトータルではあんまり変わらないかもしれない。月に一回気絶するまで飲むのと、毎日第三のビールを一缶飲み続けるのとではどっちが健康的なのかよくわからない。なのでとりあえずスマホのアプリで一日にどれくらい酒を飲んだのかを記録している。記録するだけなのだが、見える化することの効果は何かしらあるのだろうと信じている。

それにからめて言えば、会社に行ったり行かなかったりすると、今まで残業で片付けていた仕事を家人が寝静まった深夜にようやく手を付けるみたいなパターンに陥ってしまい(本当は朝早く起きてやればいいんだけど時間のプレッシャーに弱い)睡眠時間がめちゃくちゃになる。ここで言う時間というのは時刻のことで、睡眠不足ということではないのだけれど、平日と休日で就寝時刻が無茶苦茶になるため、これもまたスマホのアプリで記録をしている(「Sleep as Android」というやつで、色々解析してくれて便利)。それでなにが変わるわけではないが、なにかが変わると信じている……。

それにしてもこの時期にようやく2021年最初のエントリーとなってしまいました。本年もよろしくお願いいたします。


森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』

を、読みました。

森博嗣は、昔なにか読んであんまり合わなくてそれ以来全然でした。本書は、特段「キシマ先生」が主人公ではありませんでした。ただ、院生の「僕」を通して、生活にまみれていく自分と、静謐な研究生活を守っていくキシマ先生との対照をひたすら描いたもの。ただそれだけかと言われればそれだけなんですが、たぶんこういう理系の院生生活を描いた小説がこの世に一冊くらいあってもいいな、と思える小説でした。

あとづけっぽい後日談や設定のよくわからない強引さはむしろどうでも良くて(スピカとかいう凝った名前の女の子も特段、必要なかったような気がします。家庭生活が「生活」のすべてを意味しないと思うし)、ただなんというか、博士課程に進んでいくしんどさ・楽しさってこういうものだよな、というのがなんとなく伝わってくる。それだけでこの小説は大成功のような気がしました。修士にすら行かず、さっさと金の世界を大人の世界と勘違いしてキャンパスを、その時は意気揚々と飛び出していったすべての「元」大学生にとっては、小説で味わうだけでも多とすべきなのかもしれません。

二十代のある時期まではぼくもそうでした。さっさと稼げる自分になっていることがなによりも大事だと思っていました。さっさと人生に見切りをつけたい、自分の価値を給料で推し量りたい、あるいは年功序列というわかりやすさの中に安住したいというのが、学問から逃れる体のいい言い訳になっていたような気がします。それでもボーナスで文学全集を買い漁ったりする思い切りの悪さは引きずっていたわけですが。三十代後半にもなると、それぞれの進路がようやくひとつの選択肢だったんだと等価に思えてくるのが不思議です。自分に対する焦りが無くなったからでしょうか、それはたぶんもう若くないということの間違いない証拠なのでしょうが。もはや今からどうなるものでもないのですが。

そういう人生もあっただろう。こういう人生もあっただろう。そう思うだけです。

願わくば、ぼく自身の知らない院生室のような時間の過ごし方を一日の中にどれほど持てるのか、そういうことを考えてしまうこと自体がもはや「生活」ということなんでしょうが、せめて二項対立では生まれない発想を信じていきたいと思って一人、こうしてキーボードを叩いたりしているのです。誰でもない誰かに向かって。


秋空

ちょっと遅くなりましたが、近所の公園で秋っぽい空を見つけたので送ります。子供は、イチョウの落葉を束ねてお花のような形にして遊んでいます。そちらも寒くはありませんか。